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立山町立利田小学校
富山県立山町にある小学校 ウィキペディアから
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立山町立利田小学校(たてやまちょうりつ りたしょうがっこう)は富山県中新川郡立山町にある公立小学校。
沿革
要約
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- 1873年10月22日 - 私立の『隆化広敬小学校』を利田に創立(男性教員3名、男児67人、女児12人)[2][3]。
- 1876年9月 - 経費の行き詰まりのため、大石原の武田次左衛門宅に会った大石原・前沢小学校に移転[2][4]。
- 1877年4月 - 村の有志の寄付金と文部省(現・文部科学省)からの補助金や各村(集落)の学資配当金などを集め、公立の『公敬小学校』を設置。開校時の生徒の数は66名[2]。
- 1884年2月 - 至誠学校と改称[4][3]。当時は木造平屋建てであったが、後に保正右衛門宅の南隣に2階建ての校舎を新築する[2]。
- 1888年1月 - 利田村尋一小学校廃止[4]。
- 1889年4月 - 至誠学校が至誠小学校と改称[4]。
- 1890年4月 - 尋常科を併設[4]。
- 1892年9月 - 至誠小学校が4年制の利田尋常小学校と改称[4][5]。『利田』の校名の由来は所在地の利田村に由来している[2]。
- 1894年10月 - 校舎増築竣工[4]。
- 1901年4月 ‐ 利田村会により1904年度に新校舎を建築することが決議される(その後日露戦争の勃発で新築が延期される)[5]。
- 1905年12月14日 - 校舎全焼。諸帳簿焼失。仮校舎を深見栄三郎宅に設ける[5]。
- 1906年
- 1907年
- 1915年
- 1926年
- 1927年
- 1935年4月 - 利田青年学校併設[4]。
- 1941年4月 - 利田国民学校と改称[4]。
- 1943年 - 大原国民学校(東京都)の生徒42名の疎開を受け入れる[3]。
- 1947年4月 - 利田小学校と改称[4]。高等小学校の児童は新設された雄山中学校へ通学する[8]。
- 1948年2月 - 利田小学校PTAが発足[8]。
- 1950年4月 - 屋内体操場の改築[4]。
- 1952年9月20日[9] - 校舎増改築(第1期工事)着工[4][10]。
- 1953年
- 1954年1月 - 立山町発足により立山町立利田小学校となる。1月18日には祝賀会が行われる[12]。
- 1959年 - プール竣工[3](1963年5月から7月にかけて建設という情報もある[13])。
- 1964年12月 - プールの起工と竣工[13]。
- 1969年9月 - 渋川市立津久田小学校(群馬県)と姉妹校となる[13]。
- 1972年7月 - プール補修工事完成[13]。
- 1984年
- 1985年
- 1986年
現在の校舎は鉄筋コンクリート3階建て延床面積2,263m2の建物[15]で、正面中央部にシンボルタワーが設置され、毎朝6時にラジオ体操が校区全域に放送される。前庭には常願寺川の大石が使用されている他、全館がカーペットを用いて素足での学校生活を可能にしている[6]。
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通学区域
利田、横沢、五郎丸、塚越、浅生、鉾木、曽我、横田、上開発、上鉾木、下鉾木、西芦原[16]
進学先
関連項目
脚注
外部リンク
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