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笠原貞造
日本の政治家 (1901-1985) ウィキペディアから
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笠原 貞造(かさはら ていぞう、1901年(明治34年)8月8日[1] - 1985年(昭和60年)3月19日[2][3])は、昭和期の弁護士、農民運動家、政治家。衆議院議員(1期)。

経歴
群馬県出身[2][3]。1928年(昭和3年)早稲田大学専門部政経科を卒業した[2][注 1]。
卒業後は東京市牛込区役所に勤務し、書記、社会課、福利課各主任となり[1]、1935年(昭和10年)に退職し[1]、弁護士の業務に従事[2][3]。社会大衆党新潟県連合会執行委員、全国農民組合新潟県連合会執行委員、日本農民組合新潟県支部連合会書記長などを務めた[3]。その他、新潟県地方通貨安定推進委員会長、新潟県地方労働委員会長、新潟市教育委員、新潟県弁護士会長、日本弁護士連合会理事、同副会長、新潟県市町村教育委員連合会長などを務めた[2][3]。
1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙で新潟県第1区から日本社会党公認で出馬して当選し[2][3][4]、衆議院議員に1期在任した[2][3]。その後、第24回、第25回総選挙に立候補したがいずれも落選した[5]。
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脚注
参考文献
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