トップQs
タイムライン
チャット
視点

第八号掃海艇 (3代)

ウィキペディアから

Remove ads

第八号掃海艇(だいはちごうそうかいてい)は、日本海軍掃海艇第七号型掃海艇 (3代)の2番艇。

さらに見る 艦歴, 性能諸元(竣工時) ...
Remove ads

艦歴

1937年昭和12年)12月11日、浦賀船渠で起工[1]1938年(昭和13年)4月15日、掃海艇に類別[2]。同年5月28日進水。1939年(昭和14年)2月15日に竣工。佐世保鎮守府籍に編入[3]

1939年から1940年(昭和15年)にかけて、日中戦争において華南の作戦に参加[1]

1941年(昭和16年)6月1日、第三艦隊第一根拠地隊に編入。同年12月8日、太平洋戦争に参加し、比島レガスビー攻略作戦に参加[3]。以後、メナド、ケンダリー、アンボン、マカッサル、クーパンの各攻略参戦で船団護衛に従事[3]

1942年(昭和17年)3月10日、第二南遣艦隊第二十一特別根拠地隊に編入[3]。同年7月25日、西部ニューギニア攻略参戦に参加[3]。その後、トラックパラオ方面での船団護衛、スラバヤ方面の掃海に従事[3]

1944年(昭和19年)8月25日から同年9月21日まで、スラバヤで入渠して整備を実施[3]。その後、スラバヤ、アンボン、マカッサル、ボルネオ北東岸なとで船団護衛に従事した[3]

終戦をスラバヤで迎え、1946年(昭和21年)7月10日、シンガポールケッペル湾外でイギリス海軍により海没処分[1][4]。同年6月10日に除籍。

Remove ads

歴代艇長

艤装員長
  • (兼)北野亘 少佐:不詳 - 1938年11月15日[5]
  • 関戸靖彦 少佐:1938年11月15日[5] -
艇長
  • 関戸靖彦 少佐:1939年2月15日[6] - 1940年4月1日[7]
  • 川橋秋文 少佐:1940年4月1日[7] - 1940年11月15日[8]
  • 東恒次 予備大尉:1940年11月15日[9] - 1941年5月9日[10]
  • 川島信 予備大尉:1941年5月9日[10] -

脚注

参考文献

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads