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早苗 (駆逐艦)
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早苗(さなえ/さなへ)は、日本海軍の駆逐艦。若竹型の3番艦である。
艦歴
浦賀船渠にて建造され、1923年11月5日に竣工した。当初は第六駆逐艦という艦名であり、1924年4月1日に「第六号駆逐艦」、1928年8月1日に「早苗」へと改名された。
1932年(昭和7年)12月3日、早苗のほか早蕨、呉竹、若竹の駆逐艦四隻で台湾の馬公へ向け呉港を出航。同年12月5日、暴風雨により早蕨が沈没。乗組員の救助を行う[1]。
1941年(昭和16年)12月に太平洋戦争が開戦すると、主に船団護衛に従事した。1943年(昭和18年)11月15日、船団護衛のためパラオを出港し ボルネオ島のバリックパパンへ向かったが、セレベス海へ入り、見張り交替の直後の11月18日の深夜、船体の中央付近へ雷撃を受け、さらに 2本の魚雷が早苗に命中。合計3本の雷撃をうけた。同日23時46分、北緯4度52分、東経122度7分にて沈没。
この攻撃は米国資料によりアメリカ海軍の潜水艦ブルーフィッシュの雷撃と確認されている。ブルーフィッシュ号は第2513船団を18日の午前に発見し、深夜まで追跡のうえ、攻撃を行ったことが記録されている。海軍少佐:酒井信一 艦長、海軍中尉:飯田貞行 先任将校兼砲術長 以下 大多数が戦死し、救助されたのは3名の水兵長のみであった。
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歴代艦長
※『艦長たちの軍艦史』379-380頁による。階級は就任時のもの。
艤装員長
- 若木元次 少佐:1923年5月1日 - 11月5日[2]
駆逐艦長
- 若木元次 少佐:1923年11月5日[2] - 1924年12月1日
- 杉山六蔵 少佐:1924年12月1日 - 1925年10月20日
- 勝野実 大尉:1925年12月1日 - 1926年12月1日 同日より予備艦
- 野末信次郎 少佐:1926年12月1日[3] - 1927年3月15日[4]
- (兼)藤田俊造 大尉:1927年3月15日[4] - 12月1日[5]
- 橋本象造 少佐:1927年12月1日 - 1928年12月10日[6]
- 板垣盛 少佐:1928年12月10日 - 1929年11月1日[7]
- 橘正雄 大尉:1929年11月1日[7] - 1932年11月15日
- 福岡徳治郎 大尉:1932年11月15日 - 1934年5月25日
- 大迫東 大尉:1934年5月25日[8] - 1934年9月29日[9]
- 矢野寛二 少佐:1934年9月29日[9] - 1936年12月1日[10]
- 吉井五郎 少佐:1936年12月1日 - 1938年7月25日[11]
- 柴山一雄 大尉:1938年7月25日 - 1939年1月20日[12]
- 柳瀬善雄 少佐:1940年10月15日 - 1941年4月15日[13]
- 小川陽一郎 大尉:1941年4月15日 - 1941年10月1日[14]
- 小泉四郎 少佐:1941年10月1日 -
- 長倉義春 大尉:1942年10月25日 -
- 酒井信一 大尉:1943年10月20日 - 11月18日戦死
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脚注
関連項目
参考文献
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