第10回宝塚記念

ウィキペディアから

1969年6月1日京都競馬場で行われた第10回宝塚記念について詳細を記述する。

  • なお、馬齢については当時の表記方法(数え年)とする。

レース施行時の状況

この年の宝塚記念は、本来開催される阪神競馬場で、4月に火災が発生したため、その復旧工事を実施する必要が生じたことで、急遽、1966年以来3年ぶりに京都での代替開催となった[1]

ファン投票で上位に選ばれたアサカオータケシバオーが出走せず[2]、僅か4頭立てというメンバー構成となった。

1番人気のマーチスは、タケシバオー・アサカオーと三強を形成する関西馬。4歳時の皐月賞では道中最後方から進み、最後は3頭の壮絶な叩き合いを制した。鞍上の保田隆芳は5大クラシック春秋天皇賞有馬記念を含めたいわゆる八大競走完全制覇を達成。この年はまだ未勝利であったが、単勝2.5倍で生涯16度目の1番人気であった。

2番人気のダテホーライは、4歳時に菊花賞でアサカオーの2着。5歳になったこの年は日本経済新春盃中京大賞典ダービー馬のタニノハローモアを破り、サンケイ大阪盃ではアサカオーを破って重賞3勝を挙げていた。ファン投票では3位で、1、2位不在の最上位馬として出場した。

3番人気はスワンステークスを制し、天皇賞(春)で3着に入ったダイイチオー。

4番人気は唯一の関東馬メジロシンゲン。

出走馬

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枠番馬番競走馬名騎手オッズ調教師
11マーチス牡5保田隆芳1人(2.5)伊藤修司
22メジロシンゲン牡6宮本悳4人(14.3)中村広
33ダテホーライ牡5宇田明彦2人(2.9)星川泉士
44ダイイチオー牡5山本正司3人(5.5)高橋直三
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レース展開

レースは逃げるダイイチオーを残る3頭で追う形となり、脱落したメジロシンゲンを除く3頭の争いとなって直線勝負にもつれこんだが、最後はマーチスに1馬身の差をつけ、2分16秒1のレコードタイムで勝った[2][3]

この競走の映像(関西テレビ放送の中継の映像を収録したもの)は、1995年10月20日にポニーキャニオンより発売された「中央競馬GIシリーズ 宝塚記念史」に収録されている。

レース結果

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着順枠番馬番競走馬名着差
133ダテホーライ2分16秒1
211マーチス1馬身
344ダイイチオーアタマ
422メジロシンゲン大差
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払戻

単勝式3220円
連勝複式1-3160円

脚注

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