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第2次池田内閣 (第2次改造)

日本の内閣 ウィキペディアから

第2次池田内閣 (第2次改造)
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第2次池田第2次改造内閣(だいにじいけだだいにじかいぞうないかく)は、池田勇人が第59代内閣総理大臣に任命され、1962年(昭和37年)7月18日から1963年(昭和38年)7月18日まで続いた日本の内閣

概要 内閣総理大臣, 成立年月日 ...

前の第2次池田第1次改造内閣改造内閣である。

内閣の顔ぶれ・人事

閣僚
政務次官
(参考)自民党役員改選
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内閣の動き

池田首相が、1962年7月14日、自民党総裁選にて再選されたのを受けて、18日付で内閣改造を行った。

池田は、2年前の前回総裁選時は、十日会岸信介派)、周山会佐藤栄作派)の支持を得て総裁に選出されていたが、以降2年間、所得倍増計画による好景気で輿論の支持とともに盤石の政治力を獲得、相対的に影響力を失いつつあった岸、佐藤両派は佐藤の擁立を期するが果たせず、池田は満を持して大差で信任されて、内閣改造に臨む。改造前は派閥の領袖が軒並み入閣していたことから「実力者内閣」と呼ばれていたが、領袖クラスでは佐藤、三木武夫政策研究所)、藤山愛一郎愛正会)が閣外へ去り、池田派(宏池会)の後継と目された大平正芳が外相となった他、宮澤喜一黒金泰美といった自身のブレーンが入閣して若返ったため、「秘書官内閣」と呼ばれた。また、佐藤派からも後継の田中角栄を蔵相とすることで、反主流派となりつつあった岸、佐藤両派を牽制した[1][2]

内閣改造後、反主流派に転じた岸系は「党風刷新連盟」を結成し、派閥解消の名のもと池田執行部に揺さぶりをかける。池田はこれに対抗して「第三次組織調査会」(三木会長)を設置し、こちらも派閥人事の打破を提唱させた[3]

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脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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