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志賀健次郎
日本の政治家 ウィキペディアから
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志賀 健次郎(しが けんじろう、1903年(明治36年)12月10日[1] - 1994年(平成6年)9月28日[1])は、日本の政治家。位階は従三位、勲等は勲一等。
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経歴
岩手県東磐井郡大原町(のちの大東町、一関市)出身[3]。岩手県立一関中学校を経て、1931年(昭和6年)早稲田大学政治経済学部政治学科卒[1]。朝日新聞記者を経て、1941年大日本産業報国会参事、1942年に翼賛選挙に非推薦で立候補し敗れる[要出典]。1947年の総選挙で初当選(当選同期に田中角栄・鈴木善幸・中曽根康弘など)[3]。保守合同後も有田喜一・荒木万寿夫・小島徹三らと芦田均派を維持するが、芦田の死後は三木武夫派に加入。1962年(昭和37年)7月18日、第2次池田内閣で防衛庁長官に就任[4]。その後、1969年の総選挙で落選し、政界から引退した。
1974年4月の春の叙勲で勲一等瑞宝章を受章する。
親族
妻は、岩手県出身かつ宇都宮市で初の女医、志賀ミヱの長女美子で、一男一女をもうけた。美子は結核で34歳で死去し、子どもたちはミヱに預けられた[6]。
脚注
参考文献
関連項目
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