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笹賀村 (長野県)
日本の長野県東筑摩郡にあった村 ウィキペディアから
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笹賀村(ささがむら)は長野県中西部に存在した村(1889年4月1日-)。1954年8月1日に昭和の大合併で松本市に編入された。
地理
- 河川:奈良井川
- 最低標高:590m
- 最高標高:634m
南北に細長い村である。最低標高と最高標高の差が44mしかない平坦な村であった。
歴史
- 平安時代 - 村の一部の地区が朝廷の荘園「捧の庄」(ささげのしょう)に属していた。地名も「ささげ」が「ささが」に変化したことによる。小俣地区を含む小俣郷は、平安時代の終わりから鎌倉時代にかけては諏訪神社領となる。なお、二子地区を含む二子郷は、小笠原氏と本所または領家との間で折半されている[1]。
- 室町時代 - 事情は不明であるが、小俣郷が近衛関白家領となる[1]。
- 江戸時代 - 神戸村・神戸新田村・二子村が出川組に、今村・小俣村が塩尻組にそれぞれ属し、松本藩領となるが、水野氏の改易に伴い享保10年(1725年)より幕府領、その後寛保3年(1743年)より松本藩戸田家預かりとなる[2]。
- 1874年(明治7年)10月25日 - 筑摩県筑摩郡二子村・神戸村・神戸新田村・小俣村・今村が合併して笹下村となる。
- 1876年(明治9年)8月21日 - 笹下村が長野県の所属となる。
- 1879年(明治12年)
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、今村・小俣村・神戸村・神戸新田村・二子村の区域をもって笹賀村が発足。
- 1954年(昭和29年)8月1日 - 松本市に編入。同日笹賀村廃止。
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行政
- 廃止時の村長:杉山治人(1949年5月17日就任)
- 助役:高山国次
- 収入役:赤羽和夫
教育
- 笹賀村立笹賀小学校
- 組合立菅野中学校
脚注
関連項目
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