トップQs
タイムライン
チャット
視点

筑前国続風土記

ウィキペディアから

筑前国続風土記
Remove ads

筑前国続風土記』(ちくぜんのくにぞくふどき)は、福岡藩が編纂した地誌

Thumb
貝原益軒像

解題

『筑前国続風土記』は、福岡藩が元禄元年(1688年)に、福岡藩の儒学者貝原益軒著者とし、貝原好古高弟の竹田定直らが編纂した筑前国の地誌である。元禄16年(1703年)に編纂が完了し福岡藩4代藩主・黒田綱政に上程されたが、その後、改定が加えられ宝永6年(1709年)に完成する[1]。編纂にあたっては、筑前国内の村々を周り、実地調査や実証に基づいて行われている。のちに江戸幕府が諸藩に地誌の編纂を奨励するが、『筑前国続風土記』の和文の遣い方や本文の記載方法が手本になったとされる[2]

『筑前国続風土記』は江戸期に様々な写本が流布しているが、竹田文庫(後述)の『筑前国続風土記』では、本編30巻に、拾遺(漏れ落ちている事柄・作品を拾い補うこと)として巻31が添えられている[3]。この竹田文庫の『筑前国続風土記』では、竹田定直校正の他にも校正跡がみられ、竹田定直が制作に関わっていたことがうかがえ、定直最後の校正本と考えられる。清書は福岡藩士・末永為順(虚舟)による[1]

さらに見る 巻, 表題 ...
Remove ads

文化財

福岡県指定有形文化財

竹田家所蔵文書 - 指定年月日:1960年昭和35年)4月12日[2]。巻子(巻物)8巻、附 筑前国続風土記、黒田家譜 各一揃。

  • 竹田家所蔵文書は、1971年(昭和46年)に竹田家より福岡県文化会館に寄託され、のちに福岡県立図書館が保管している。『筑前国続風土記』は、江戸期に様々な写本が流布しているが、『筑前国続風土記』編纂に関わった竹田定直を祖とし、福岡藩の藩儒を代々務めた竹田家に伝わる資料として竹田家所蔵文書があり、その中に「筑前国続風土記(竹田文庫)」がある[3]

脚注

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads