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筑豊

福岡県の中央部 ウィキペディアから

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筑豊(ちくほう)は、福岡県の中央部をさす地域名。地名の由来は筑前国豊前国頭文字をとったもので、明治時代以降、石炭資源を背景にして新しく生まれた地域区分である。かつて、筑豊炭田によって栄えていた飯塚市直方市田川市の3都市を筑豊三都と呼ぶ[1]。このうち、飯塚市は飯塚都市圏、田川市は田川都市圏の中心都市である。

概要

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福岡県 地域区分図
(濃色が市部、淡色が郡部)

かつては、筑豊炭田から産出される石炭をもとにした鉱工業によって栄えていたが、のちに全ての炭鉱が閉山し、1960年代と比較して人口が半分以下に落ち込んだ自治体もある。北部九州地区には筑豊地域以外にも炭田地帯が広がっており、小規模炭鉱も含めると宗像市北九州市中間市遠賀郡糟屋郡福岡市にも炭鉱が存在した。このうち中間市は北九州都市圏に属し、現在は北九州市のベッドタウンとして位置づけられているが、旧産炭地として筑豊と同じ歴史的・経済的背景を持つ。

人口減少や少子高齢化の進行に伴う自治体の財政難も顕著である。福岡市福岡都市圏)や北九州市(北九州都市圏)との交通アクセスが比較的良好である飯塚市や直方市など、ベッドタウンとして人口が増加傾向にあった地域もあったが、これも頭打ちとなり、再び全ての自治体の人口が減少に転じている。

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構成自治体

福岡県の定義では以下の通りである。この定義は、気象情報で使われる「筑豊地方」の細分区域、および、自動車等に交付される「筑豊」ナンバーの適用範囲と同一である。

福岡県道の一般県道は400番台が使われる。

なお、1970年(昭和45年)頃までは中間市、遠賀郡も含んでいた。

都市圏

要約
視点

都市雇用圏(10% 通勤圏)

金本良嗣・徳岡一幸によって提案された都市圏。細かい定義等は都市雇用圏に則する。

通勤率

2015年国勢調査による、各自治体の飯塚市への通勤率

さらに見る 順位, 市町村 ...

2015年国勢調査による、各自治体の田川市への通勤率

さらに見る 順位, 市町村 ...
都市雇用圏(10% 通勤圏)の変遷
  • 10% 通勤圏に入っていない自治体は、各統計年の欄で灰色かつ「-」で示す
さらに見る 自治体 ('80), 1980年 ...
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歴史

江戸時代以前は嘉麻郡穂波郡(嘉麻郡と穂波郡は現在の嘉穂郡に相当)と鞍手郡が筑前国に属し、田川郡が豊前国に属しており、経済的な独立性はなかった。しかし明治時代に入り、殖産興業政策が実施される中、地域内で産出される石炭資源に注目した財閥資本家が炭鉱開発を推進したことで、経済圏として独立を果たした。また、工業資源としての石炭の利用価値ならびに積出港(若松港苅田港など)との関係から、工業都市として発展した北九州地区と強い結びつきを持つことになる。

鉱工業は1960年代頃まで繁栄し続けたが、1970年代に入るとエネルギー革命とともに炭坑群の淘汰が進み、1976年(昭和51年)には筑豊最後の炭鉱であった貝島炭礦(旧:宮田町、現:宮若市)が閉山した。

炭鉱の閉山後は、産業基盤や生活環境の整備が進められ、地域は大きく転換しようとしている。産業面では、宮若市に進出したトヨタ自動車九州をはじめ、自動車関連産業の立地が進んでいる。飯塚市では理工系大学を中心に、ベンチャー企業や研究機関を集積し、新しい産業を創る構想も進められている。交通面では、国道200号国道201号バイパスが整備され、福岡都市圏、北九州都市圏とのアクセスが向上した[2]

筑豊炭田炭鉱は重労働であったこと、飯塚市長崎街道の宿場町であること、直方市が交通の要所であったことなどから、菓子の製造販売がこぞって進出している。ひよ子(飯塚市。現在は福岡市南区)、千鳥屋(飯塚市)、さかえ屋(同)といった有力企業があるほか、成金饅頭(直方市の銘菓)、黒ダイヤ田川市。現在は飯塚市で製造)、チロルチョコ(田川市。現在は本社を東京に移し、田川市で製造を行う)といった銘菓が発展した。

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過疎地域

以下の自治体が過疎地域に指定されている。筑豊炭田の衰退により、現在も過疎化が進んでいる地域が多数ある。

筑豊地方内の地域について

筑豊地方内は、3地区に分けることが出来る。

人口・面積

筑豊五地区

筑豊五地区は、北九州市以外の福岡県北部を指す場合につかう。

筑豊を舞台・テーマにした作品

脚注

関連項目

外部リンク

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