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篠路
札幌市北区の地名 ウィキペディアから
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篠路(しのろ)は北海道札幌市北区にある地名。同区内の北部に位置する、国道231号(創成川通)以東の地域で、南辺の学田川をはさんで太平に接する。
歴史
古くは篠路村の「本村」と呼ばれた地域である[2]。サケ・マス漁場として始まった集落だったが、幕末ごろから農地として発展していった[2]。
1852年(嘉永5年) :早山清太郎が福島県の西白河郡から北海道に移住[3]。1817(文化14年)の説あり[4]。
1958年(安政5年) :幕史石狩調役荒井金助が篠路に農家8戸を入植[3]。
1871年(明治4年) :篠路村に味噌・醤油の官営工場が設立される[3]。
1872年(明治5年) :篠路村に教育書(現:篠路小)設置[3]。
1873年(明治6年) :伏籠川沿いに(札幌ー篠路間)開削[3]。
1874年(明治7年) :篠路本村-茨戸間に道路開削[3]。
1899年(明治32年) :篠路村戸長役場を設置[3]。(このころ篠路獅子舞が演じられていた。)
1902年(明治35年):篠路村烈々布の青年団を中心に篠路歌舞伎が始まる[3]。
1906年(明治39年) :篠路兵村が篠路村から分離してことに村に移管[3]。
1926年(大正15年):篠路村畜産改良会がペルシュロン種を原産地フランスから種牡馬アニー号を購入[3]。
1937年(昭和12年)3月、札幌市への編入に際して「篠路町篠路」と改称した[2]。
1947年(昭和22年) :村立篠路中学校(現篠路中学校)が開校[3]。
1955年(昭和30年) :琴似町・篠路村が札幌市に合併[4]。
1981年(昭和56年)以降に漸次住居表示が行われ、「篠路○条○丁目」へと変わっていった[5]。
1985年(昭和60年) :篠路コミュニティセンター開館[3]。(このころ北区内で藍染め流行)
地名の由来
アイヌ語研究者の山田秀三は、アイヌ語の「シノオロオ(sino-or-o)」〔ほんとに・水が・ある(ところ・川)〕に由来するのではないか、とする試案を出しているが、はっきりしない[6]。
また『駅名の起源』(1939年版)では札沼線篠路駅の駅名由来について、アイヌ語の「シノロ」による、とした上で「川口の義」「一説に『川の淵』の意」と紹介している[7]。
ほかにアイヌ語の「スウオロ」〔鍋をひたしておく所〕であり、かつて炊事に使用した鍋を龍雲寺付近にひたしておいた習俗に由来するという説もある[8]。アイヌ語との関係はないという説もある[8]。
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文化
農村として発展した篠路では、これらの農村文化が発展した。
篠路歌舞伎
藍の栽培
1883年(明治16年)、現在の篠路・拓北地区とあいの里にあたる篠路興産社の滝本五郎によって作付面積1.2ヘクタールで葉藍260貫(約855キロ)収穫した[10]。
阿波国(現在の四国・徳島県にあたる)で藍の生産を行うとき、肥料として鰊粕が一番良いとされていたことから、鰊粕を入手しやすい篠路で藍の生産を始めた[11]。
施設
篠路の施設
- JR北海道札沼線(学園都市線)篠路駅(篠路4-7)
- 札幌市立篠路西中学校(篠路6-2)
- 札幌市立篠路小学校(篠路4-9)
- 札幌市立篠路西小学校(篠路5-2)
- 篠路神社(篠路4-7)
- 篠路郵便局(篠路3-5)
- 龍雲寺(篠路5-10)
- 篠路コミュニティーセンター(篠路3-8)
- 篠路五ノ戸の森緑地
- 旧琴似川
- 篠路駅前倉庫群
篠路町篠路の施設
- 北海道札幌英藍高等学校(篠路町篠路372-67)
- 札幌市立篠路中学校(篠路町篠路368)
金融機関
商業施設等
脚注
参考文献
外部リンク
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