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米崎町 (陸前高田市)
陸前高田市 ウィキペディアから
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米崎町(よねさきちょう)とは、岩手県陸前高田市の地名。郵便番号は029-2206。住民基本台帳によると2021年9月30日の住民は2,920人、世帯数は1,138世帯である[1]。
地理

北で大船渡市猪川と、東で大船渡市大船渡町や大船渡市末崎と、南東で小友町と、西で高田町と接し、南にて広田湾に面する。
集落は散在しているが、松峰に陸前高田市内最大規模の住宅団地である松峰住宅団地が所在する。
また、米崎町は農漁業地域である。農業では、明治時代から特産物として米崎りんごがある[5][6]。これは米崎町が傾斜地の多いことから水はけが良く、日照時間が長いためである。2015年(平成27年)時点では、米崎町の樹園地のある農家数は85戸(陸前高田市全体では116戸)、面積は43ha(陸前高田市全体では55戸)と陸前高田市内でも特出して、樹園地が多いことが窺える[7]。漁業は小型定置網の他に様々な種類の海産物の養殖を行っている。
河川
- 浜田川[8]
山
小字
域内の小字は以下の通りである[4]。
- 神田
- 川内
- 川崎
- 川西
- 川向
- 佐野
- 地竹沢
- 高畑
- 館
- 樋の口
- 堂の前
- 中島
- 中田
- 西風道(ならいみち)[9]
- 西之沢
- 糠塚沢
- 沼田
- 野沢
- 松峰
- 道の上
- 和方
- 脇の沢
- 和野
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歴史
→合併前の米崎町については米崎村を参照
施設

交通
鉄道
2020年まで、JR大船渡線の脇ノ沢駅が所在していたが[15]、現在は存在せず、代わりにBRTの停留所(後述)が存在する。
道路
バス
統計
人口
住民基本台帳によると2021年9月30時点での米崎町の人口は以下の通りである[1]。
労働
2015年10月1日時点での米崎町の15歳以上の産業別労働者人口は以下の通りである(なお、単位は人)[7]。
第一次産業
第二次産業
第三次産業
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東日本大震災
要約
視点
米崎町での東日本大震災の犠牲者は86人で域内の字館が16.4m浸水し、字高畑に所在する一等三角点は58cmの地盤沈下が確認された[21][22]。
域内各地の様子
- 陸前高田市立米崎中学校
- 東北地方太平洋沖地震が発生した3月11日当日は卒業式の準備や掃除を行っており、地震が発生すると、ひとまず校庭へと集合したが、津波が防潮堤を越えたことを確認したため、裏山へと避難した[22]。
- その後、校庭へと一旦戻ったが、時刻は午後5時を過ぎ、気温が氷点下3度から5度と冷え込みはじめたため、体育館へと移動し、灯油式ストーブ4台と灯油200Lを用いて、暖房とした[22]。
- 食料はPTAに要請をして、100kg以上の米を集め、炊き出しを行い、避難者におにぎりを提供した。電力は発電機と車から調達したガソリンを用いて調達した[22]。
- 3月12日、体育館に亀裂を確認したため、これ以上は避難所としての機能を果たせないと判断し、避難者は米崎小学校と神田公民館へと移動した。なお、体育館は岩手県警察へと引き渡し、遺体安置所として使用されることになった[22]。
- なお、生徒は全員無事であった[23]。
- 陸前高田市立米崎小学校
- 米崎地区コミュニティセンター
- 米崎保育園
- 地震が発生した時、児童は昼寝の時間であった。地震が発生し、庭へと移動したが、防災行政無線から津波の襲来を聞き、上浜田構造改善センターへと逃れた。しかし、建物は地震による倒壊の可能性を孕んでいたため、より高台にある岩根会館へと移動し、最終的に民家の離れを借りて宿泊した[22]。
被害統計
2012年11月30日時点の米崎町の世代・男女別の犠牲者・死亡率は以下の通りである[21]。
建物の被害は以下の通りである(一部数値を四捨五入し、また、住民票を移さずに被災した世帯も統計に含まれているために被害割合が100%を超過する場合がある)[22]。
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文化財
米崎町内の文化財は以下の通りである[22][24][25][26][27][28]。
関連項目
脚注
参考文献
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