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細川慶前
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細川 慶前(ほそかわ よしちか)は、江戸時代後期の肥後国熊本藩の世嗣。官位は従四位下・侍従、兵部大輔。
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略歴
文政8年(1825年)、肥後国熊本藩支藩・宇土藩主であった細川立政(のちの熊本藩10代藩主細川斉護)の長男として誕生した。幼名は雅之進。初めは父・斉護の1字を受け護前(もりちか)と名乗っていたが、のちに江戸幕府12代将軍・徳川家慶から偏諱(「慶」の字)の授与を受けて慶前と改名した。
翌文政9年(1826年)に立政改め斉護が宗家・熊本藩主の細川斉樹(斉護の叔父)の跡を継ぐとその世嗣となったが、家督を相続することなく嘉永元年(1848年)に24歳で早世した。
法名は泰樹院。正室に鳳台院茂姫(熊本新田藩主・細川利用の娘)を迎えていた[1]が子はなく、代わって、実弟の護順改め慶順(後の韶邦)が世嗣となった。
脚注
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