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紹定

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紹定(しょうてい)は、中国南宋理宗の治世に使用された元号。1228年 - 1233年。

西暦等との対照表

紹定元年2年3年4年5年6年
西暦1228年1229年1230年1231年1232年1233年
干支戊子己丑庚寅辛卯壬辰癸巳
正大5正大6正大7正大8正大9
開興
天興
天興2
西夏宝義3-----

出来事

  • 宝慶3年
  • 紹定元年
    • 8月:李全がモンゴルを裏切って楚州に還る。
    • 11月27日:皇城出入りをさらに厳しく扱う詔勅が出る。
  • 紹定2年
    • 4月23日:郡県官の欠位に芸術人・豪民・元役人が補任されることを禁ずる詔勅が出る。
  • 紹定3年
  • 紹定4年
    • 正月15日:李全を誅す。
    • 6月4日真徳秀魏了翁の元官を復す。
    • 7月:沔州の官員がモンゴルの使者を殺害する。
    • 8月6日:モンゴル軍が大散関を越えて鳳州を破り、興元府に至って劫掠する。
    • 9月3日:臨安にて大火が発生。太廟と多数の官庁が焼失される。
    • 10月:モンゴル軍が金の攻略のため漢中を経由した後、河南へ進攻する。
  • 紹定5年
    • 正月11日史嵩之が京湖安撫制置使に任ぜられ、襄陽に鎮守する。
    • 正月21日:太廟が復元される。
    • 8月26日:玉牒殿が建てられ、歴代の玉牒を奉安する。
  • 紹定6年
    • 7月:孟珙鄧州の馬蹬山に駐屯した金軍を迎撃して大破する。
    • 8月:南宋とモンゴルが金を挟撃することに約する。
    • 9月:金がモンゴルに対抗する同盟を求めたが、南宋はこれを拒否する。
    • 10月:孟珙の率いる宋軍が河南へ北上。モンゴル軍と合流した後、金の蔡州を包囲する。
    • 10月24日宰相史弥遠が死去。
    • 11月6日:翌年より「端平」へ踰年改元の詔が下る。
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他の王朝

関連項目

前の元号
宝慶
中国の元号
南宋
次の元号
端平
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