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織田久長

室町時代の武将 ウィキペディアから

織田久長
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織田 久長(おだ ひさなが)は、室町時代武将。通称は弾正左衛門。官位従五位下大和守近江守兵庫助清洲三奉行の一家・藤左衛門家(小田井織田氏)の祖とされる。尾張国楽田城主。法名は常祐。

概要 凡例織田久長, 時代 ...

略歴

織田勝久または織田常松織田常竹の子として誕生。正室は朝倉教景の娘。

郷土史家の横山住雄は、朝倉教景の娘に「織田弾正忠久長室」とあり、「弾正忠」の官位が見えることから、織田良信の父であるという説を唱えたが、現時点では「弾正忠久長」による発給文書がないため推測の域を出ない。

文安5年(1448年)、『妙興寺文書』の「天祥庵規式案」によると条文に「織田兵庫助久長」とある[4]

応仁2年(1468年)2月28日、3月27日の「引付記録」に「織田大和守久長」とある[5]

永正元年(1504年)に尾張丹羽郡楽田城を築城し、居城としたとされる。また「織田宝岩祐居士」の肖像画は織田久長とも。

脚注

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