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羽田貞義

日本の教育者・実業家 ウィキペディアから

羽田貞義
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羽田 貞義(はた さだよし、1864年8月10日元治元年7月9日[1] - 1933年昭和8年)3月11日[2])は、日本の教育者実業家。号は鷲峰第80代内閣総理大臣を務めた羽田孜の祖父。

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熊本師範学校校長時代

来歴

信濃国小県郡桜井村(現・長野県東御市)の寺島権左衛門の次男として生まれ、1880年に同郡和田村(現・長和町)の羽田三郎の養子となる[1]1883年長野県師範学校を卒業、1890年東京高等師範学校博物科を卒業後、長野師範教諭、1898年新潟師範学校教頭を務める。 

1903年群馬師範学校校長に就任[3][4]1912年より熊本師範学校校長[5][6]千葉師範学校校長[7]1919年より福島師範学校校長を歴任した。

報徳思想主義者で[8]、町村自治行政と社会教育に尽力[9]、殊に師範学校校長を務めた群馬県[10][11]熊本県における町村を巡回して生活の向上として①経済的生活法②衛生的生活法③秩序的生活法④修養的生活法⑤楽天的生活法を掲げた教育活動は常に文部省から表彰され、篤人英俊恭謙の人物で教育家の模範とされた[12][13]

1924年に定年後帰郷し、1927年にはバス会社「和田嶺自動車」を設立して社長となり[14]、山間部の地方交通として貢献した。

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栄典

家族

主著

脚注

参考文献

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