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背尾伊洋
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背尾 伊洋(せお よしひろ、1973年8月15日 - )は、大阪府大阪市出身の元プロ野球選手(投手)。
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来歴・人物
大阪桐蔭高時代、3年次の1991年に春の選抜、夏の第73回全国選手権に出場[1]。エースナンバーを着ける和田友貴彦(東洋大-東芝府中)との2本柱で夏は準決勝・星稜高戦で当時2年生の松井秀喜を抑えて完投勝利[2]、決勝戦でも登板し、初出場での初優勝に貢献する。同期に萩原誠、澤村通、1学年下に渕脇芳行がいた。
1991年のプロ野球ドラフト会議で近鉄バファローズから5位指名を受けて入団[1]。
大型投手として期待されていたが二軍でも結果が出ずオーバースローからサイドスローに転向し、プロ5年目の1996年に一軍登板を果たすと初勝利を完封勝利で飾るなど18試合に登板した。 スライダーやシュートが武器で、斎藤雅樹ばりのサイドスローのフォームが話題となる。しかし、翌年以降は故障の連続で一軍登板から遠のく。
1998年シーズン途中、大森剛との1対2の交換トレードで南真一郎とともに読売ジャイアンツへ移籍する[1]。しかし、巨人では故障により一軍登板がなく、2000年シーズン終了後に現役を引退[1]。
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詳細情報
年度別投手成績
記録
- 初登板:1996年4月4日、対オリックス・ブルーウェーブ3回戦(藤井寺球場)、9回表に3番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初奪三振:同上、9回表にトロイ・ニールから
- 初先発:1996年4月14日、対福岡ダイエーホークス3回戦(福岡ドーム)、3回1/3を1失点
- 初勝利・初完投勝利・初完封勝利:1996年9月16日、対日本ハムファイターズ25回戦(藤井寺球場)
背番号
- 45 (1992年 - 1998年途中)
- 86 (1998年途中 - 1999年)
- 51 (2000年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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