トップQs
タイムライン
チャット
視点
脊振村
日本の佐賀県神埼郡にあった村 ウィキペディアから
Remove ads
脊振村(せふりむら)は、佐賀県の北部、神埼郡にあった山村である。村の名は、脊振山地の最高峰、脊振山にちなむ。
県内最後の村であったが、2006年3月20日、神埼町・千代田町と対等合併して市制施行し、神埼市となった。現在は全域が神埼市脊振町(せふりまち)となっている。
Remove ads
地理
佐賀県北部、脊振山地の中にある。北に脊振山があり、南に行くほど標高は低くなる。人口は城原川沿いに散らばる。
- 山岳: 脊振山 (1055m)
- 河川: 城原川
隣接していた市町村・行政区
佐賀県
歴史
- 1869年(明治2年) 広滝・倉谷・岩屋が合併して広滝山村、一番ヶ瀬・服巻・久保山が合併して服巻山村、鹿路・鳥羽院・名尾が合併して鹿路山村がそれぞれ成立。
- 1889年(明治22年)4月1日 市町村制施行により広滝山村・服巻山村・鹿路山村(名尾を除く)が合併して脊振村成立。
- 1916年(大正5年)9月1日 17名の村の有力者が村長の徳川権七を襲撃する「脊振村騒擾事件」起こる[1]。
- 1936年(昭和11年)11月19日 飛行機が脊振山久保山地区に墜落。操縦者はパリ~東京間のスピード記録樹立を目指していたフランス人、アンドレ・ジャピーであり、村総出で救出活動が行なわれた[2]。
- 1996年(平成8年) ジャビーの出身地ボークール市と姉妹都市締結し、記念行事を行なう[3]。ボークールには「セフリ」という名の通りがある[4]。
- 2006年(平成18年)3月20日 - 神埼町・千代田町と対等合併し、市制施行して神埼市となり消滅。
Remove ads
経済
産業
農業では水稲と野菜が生産される。1959年、1400ヘクタールの村有林から毎年3000万円の収益があるとして、村議会は住民税の廃止を決議した[5]。
地域
教育
交通
空港
鉄道
バス路線
道路
- 主要地方道
- 一般県道
- 佐賀県道209号広滝大和富士線
- 佐賀県道273号藤原松瀬線
- 佐賀県道305号脊振山公園線
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
- 高取山公園
- ふるさとロッジかじか
- 後鳥羽神社
承久の乱後、隠岐島に流された後鳥羽上皇がひそかに島を抜け出し、鳥羽院地区に身を寄せたという伝説がある。毎年2月22日の後鳥羽上皇の命日には祀りごとが行われている。
脚注
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads