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神埼市立脊振小学校
佐賀県神埼市にある小学校 ウィキペディアから
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神埼市立脊振小学校(かんざきしりつ せふりしょうがっこう)は、佐賀県神埼市脊振町広滝にある市立の小学校。
概要
- 歴史
- 1875年(明治8年)創立。数回の改組・改称を経て、現校名になったのは2006年(平成18年)。2025年(令和7年)に創立150周年を迎える。
- 校訓
- 「石の門の教え」
- 1 心の大きい優しい子
- 2 体の丈夫なたくましい子
- 3 意志の強いやり抜く子
- 4 郷土を愛し学業に励む子
- 5 品のある礼儀正しい子
- 校章
- 中央に校名の頭文字「脊」を配したデザインとなっている。
- 校歌
- 歌詞は3番まであり、1番の歌詞中に校名の「脊振」が登場する。
- 校区
- 「神埼市背振町全域」。中学校区は神埼市立脊振中学校[1]。なお、脊振小学校は神埼市から「小規模特認校」に認定されており、神埼市のどこからでも通学することができる[2][3]。
沿革
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- 1875年(明治8年) - 創立。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 市町村制施行により、神埼郡3村(広滝山・服巻山・鹿路山(名尾を除く))が合併して脊振村が発足。
- 1892年(明治25年)- 「脊振尋常小学校」と改称。
- 実施年月日不明 - 高等科を併置の上、「背振尋常高等小学校」に改称。
- 1900年(明治33年)- 久保山分校と鳥羽院分校を設置。
- 1914年(大正3年)3月 - 石門を建立[4]。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「脊振村国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革が行われる。
- 1982年(昭和57年)3月 - 新校舎が完成。
- 2003年(平成15年)3月31日 - 久保山分校と鳥羽院分校が閉校。
- 2006年(平成18年)3月20日 - 町村合併により、「神埼市立脊振小学校」(現校名)となる。
- 2022年(令和4年)10月 - 「脊振小学校石門」が国登録有形文化財に登録される[5]。
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石門
学校のシンボルともなっている[5]校門は高さ4.3メートル[5]、太さ1メートル余り[5]、重さ13トン[4]の角柱が間口7.1メートル[5]で1対となった花崗岩製の大型の石門[4]で、国の登録有形文化財に登録されている[5]。1914年(大正3年)3月、当時の脊振村長であった徳川権七の発案により、大正天皇の即位記念、および村の教育・文化の発展を願って建立され、村民の手により石材の切出しから運搬、設置が行われた[4][6]。各面は江戸切り仕上げで、頂部には突起があり、かつては頂部に金属製の門飾りがあった[4]。
かつての分校

- 久保山分校(くぼやま)
- 所在地 : 神埼市脊振町服巻873番地5(北緯33度24分52.7秒 東経130度21分02.5秒)
- 創立年 : 1900年(明治33年)
- 閉校年月日 : 2003年(平成15年)3月31日
- 閉校後の活用 : 社会教育施設「脊振山麓習遊館」として活用されている[7]。
- 久保山のヤマザクラ : 旧校庭にあるヤマザクラで、分校創立後間もなく植えられたと推定される。2015年(平成27年)に神埼市の天然記念物に指定されている[8]。

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交通
- 最寄りの鉄道駅
- 最寄りのバス停留所
- 三瀬神埼線 「広滝」停留所
- 最寄りの幹線道路
- 佐賀県道305号脊振山公園線
- 佐賀県道21号三瀬神埼線
- 佐賀県道209号広滝大和富士線
周辺
脚注
関連項目
外部リンク
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