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自由社会を守る国民会議
自由民主党の党友組織 ウィキペディアから
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自由社会を守る国民会議(じゆうしゃかいをまもるこくみんかいぎ)とは、日本の政治団体。自由民主党の党友組織。略称は自由国民会議。
概要
要約
視点
1977年7月、立場上党員になりにくい学者や文化人の自民党に対する支持拡大を図る一環として設立された。規約では「自由主義と保守主義の理念を基調とし、これを創造的に発展しつつ、自由社会を守るため、党の改革と再生を強力に支援する」ことを目的に掲げている[1]。設立当初は政治資金団体として自民党への政治献金を取りまとめていた国民政治協会との間で、個人会員の獲得を巡る摩擦が生じたという[2]。
作曲家の黛敏郎が保守派の活動で親交深い中川一郎国民運動本部長(当時)を通じて福田赳夫総理(当時)からの要請を受けて初代代表に就任。1997年4月68歳の若さで(翌月日本会議設立総会で初代会長就任が既定路線だった)黛が死去すると細田吉蔵元運輸大臣(1997年 - 2007年)・塩川正十郎元財務大臣(2007年 - 2015年)が死去まで代表を務め、2015年より臼井日出男元法務大臣が代表を務めている。
年会費は一口1万円で原則として個人のみ入会が認められる[1]。会員は交通傷害見舞金制度やレンタカー・ホテル代金等の各種割引サービスを受けることができるほか[3]、過去2年間連続して会費を納めている会員には総裁選の投票権が与えられる。ただし、会員登録に際し本人確認書類提示を義務付けていない為、「20歳以上の日本国民」という総裁選投票資格に合致しない者が、偽名・他人に成りすまし・生年月日サバ読み・国籍や年齢や詐称で加入出来る、大きな問題点。自民党の党員資格は「18歳以上の日本国民」だが、自由国民会議に年齢下限は無い(黛が熱烈なファンだったプロボクサー大場政夫の甥の綜は、松坂世代だが1989年8月に小3・9歳で黛の紹介で入会した)
なお自民党や自民党以外の保守政党の党員や党友が加入も可能。初代代表たる黛自身が1994年1月29日新生党横浜市連設立総会参加し賛助会員に。自民党が初めて最大野党なる前後に朝貢外交の宮澤内閣や官房長官加藤紘一、同じ護憲・リベラル・親中派で加藤とKK戦争といわれる跡目争いした最大野党党首たる自民党総裁河野洋平を厳しく批判。それと同時に黛は自民党総務局長兼新潟県連会長経験者小沢辰男や民社党創立者西尾末広とも親交深く、1993年自民党分裂で小沢も集団離党に加わり新生党結成参加し最高顧問就任。(93年7月第40回衆議院議員総選挙で民社党の県議や区議だった者が新生党新人として出馬したり、民社党新人西村眞悟や民社党の党籍有する無所属元職大矢卓史を新生党推薦)。また、自民党が日本社会党委員長村山富市を首班に担ぎ自社さ連立政権樹立し再び与党なり左傾化の一途を辿り、新生党のみならず民社党も同じく1994年12月9日解党して開催した翌10日パシフィコ横浜での新進党結党大会にも来賓として参加し党友に。前述の大場の甥の綜も新生党賛助会員や新進党党友、民社協会会員や民進党や国民民主党_(日本 2018)のサポーター経て国民民主党_(日本 2020)第一号特別党員であり地域政党・新進かながわ21代表でもある。
近年の会費納入額はおおむね1億円前後(約1万口)で推移しており、これに自民党本部からの寄付金約4000万円を加えた上で、約1億円を国民政治協会に、残額を自民党都道府県連と自民党を支持する業界団体・政治連盟などに分配している。党外の団体ではNTTのOB団体「21テレコム会議」[4]、JRのOB団体「ときわ会」[5]、日本看護連盟後援会への寄付金額が比較的大きい。
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会費納入額・献金先
政治資金収支報告書によると[6][7][8]、2010年から2012年までの会費納入額および献金先は以下の通りである。
残額は交通傷害見舞金の積立金に充てられている。
会派としての自由国民会議
かつては無所属の国会議員が自民党と統一会派を組む場合に、会派名を「自由民主党・自由国民会議」とするケースがしばしば見られた。これは当該議員が自民党員ではなく自由国民会議会員の身分であったためである。
こうした無所属議員の代表例としては田原隆・中村力(以上衆議院議員)・馳浩・林健太郎(以上参議院議員)などが挙げられる。このうち田原と馳は早期に自民党に入党し追加公認を受けたが、中村と林は任期満了まで入党しないまま自由国民会議の所属であり続けた。なお林は1983年に行われた第13回参院選の比例区で自民党の名簿第2位に登載されており、非党員が公認を受けた珍しい事例となった。
近年は無所属議員と統一会派を組む場合でも会派名を「自由民主党・無所属の会」とすることが多く、参議院で2000年1月14日から4月5日にかけて使用されたのを最後に[9]、「自由民主党・自由国民会議」の会派名は姿を消している。
脚注
外部リンク
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