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荒木古童
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初世 古童
豊田古童(生年不詳 - 嘉永3年4月27日(1850年6月7日))。本名は豊田勝五郎。初代山田如童、久松風陽に師事し、風憬、後に古童と称した。通称は「風憬古童」。
二世 荒木古童
(文政6年(1823年) - 明治41年(1908年)1月17日)本名は荒木半三郎。号が竹翁。近江水口藩士荒木亀三郎の三男。幼少から芸事が好きで尺八を嗜んだ。最初は一閑流の横田五柳に付き、その後虚無僧になり琴古流の豊田古童の門下となった。1850年に豊田古童が死去し古童の名を継ぎ久松風陽の門下となった。普化宗の廃止後も楽器としての尺八の復興に力を注いだ。後年長男に古童の名を譲り自らを竹翁と名乗った。弟子には初代川瀬順輔、上原六四郎、三浦琴童などがいる。
三世 荒木古童
(明治12年(1879年)2月1日 - 昭和10年(1935年)5月2日)本名は荒木真之助。二世古童の長男。明治末期から昭和初期にかけて活躍。同門の初代川瀬順輔と共に明治末期からの尺八界中心人物。三曲合奏に力を注ぎ、名人とうたわれた。童窓会等を主催し多くの弟子を育てた。弟子には木村士童、百瀬芳童、納富夀童、石見綱がいる。
四世 荒木古童
(明治35年(1902年)8月15日 - 昭和18年(1943年)7月1日)本名は荒木聚。号が梅旭(1923年より)。三世古童の四男。東京の生まれ、早稲田実業、東洋音楽学校卒業。9歳で父の元に入門。尺八の他に雅楽、洋楽、三弦、箏等を学び研究。三世古童没後に四世古童を襲名。早くに嘱望されたが夭折した。
五世 荒木古童
(1938年(昭和13年)7月30日 - )二世竹翁(五世古童)。本名は荒木達也。1938年琴古流尺八の名人三世を祖父に、才能に恵まれながらも夭逝した四世の三男として東京 に生まれる。1947年四世門人 吉田錦童、 後 三世門人 木村友斎に師事。1961年慶応義塾大学卒 (在学中は竹之会会員)。1962年五世古童 襲名。1963-1971年 UCLA、 ワシントン大学、 ウエスリアン大学へ学士入学と共に民族音楽科講師を歴任。1967 年スクリブスアジア芸能研究所講師を兼任。1971年ウエスリアン大学修士卒。 コロンビア、プリンストン、スタンフォード、ミシガン大学、 その他私立、州立大学、 多数で演奏、演奏指導、 講演。 日本コロンビアより“尺八の真 髄”「鹿の遠音」、「こんかい」、「千鳥の曲」、 「残月」等、数曲レコーディング、 放送、 出演。1998年NHK ラジオ第一放送“ふれあいラジオパーティー” にて 「尺八を世界に広めた荒木古童」 と紹介され、約一時間半にわたって出演。2004年NHK BS1「週末日本学 尺八」 海外 181 ヶ国向けの番組に出演。 国際尺八音楽祭 in ニューヨーク 講師。2005年NHK テレビ教育番組 「週末日本学尺八」 に出演。 古童会 会主。2008年 二世竹翁 襲名
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六世 荒木古童
(1970年(昭和45年) - )本名は荒木半三郎。五世古童の三男。琴古流古伝全曲を父より習得し、後、ケルト民俗音楽を独習。1977年アルバム「ペイパーボーイズ」にてカナダ年間最優秀「ジュノー賞」受賞。2005年に自作のCD「An Tua - Six of One, Five of the Oher」で年間世界最優秀「新芸術家賞」受賞(ダブリン)。2008年に六世古童襲名。よって父五世古童は竹翁号を継承。
外部リンク
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