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蒔田定矩
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蒔田 定矩(まいた さだのり)は、備中国浅尾の寄合旗本。旗本・戸田忠辰(蒔田定正の三男)の次男。
生涯
貞享2年(1685年)、従兄の定次が伯父の浅尾領主定行に先立って没したため、定行の婿養子となる。養父没後の元禄3年(1690年)8月6日に家督を継ぐ。10月に将軍徳川綱吉に拝謁し、元禄11年(1698年)6月に上野国勢多、新田、山田郡内の領地を備中国賀陽郡に移された。同年10月2日に小姓となり、翌元禄12年(1699年)5月21日中奥小姓となる。宝永7年(1710年)に34歳で死去。家督は長男の定英が継いだ。
系譜
脚注
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