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勢多郡
日本の群馬県(上野国)にあった郡 ウィキペディアから
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郡域
勢多郡(第1次)
赤城山を中心として存在した。概ね上記の区域を合わせたものだが、行政区画として画定されたものではない。
勢多郡(第2次)
1896年(明治29年)に発足した当時の郡域は、下記の区域に相当する。
歴史
要約
視点
明治以前までは赤城山の山麓全域にまたがる郡であったが、その後の郡の再編によって群馬郡・利根郡との境界変更が行われ、郡域が赤城山以南、利根川以東に確定した。
郡名の初見は『続日本紀』の天平勝宝元年閏5月20日。勢多郡少領の上毛野足人が記されている。このため上毛野氏の勢力範囲にあったと思われる。建郡年代や古代の郡域は共に不明であるが、中世には赤城山を中心にその山麓に広がっていた。
延喜式神名帳には名神大社である赤城神社(論社3社)が記載される。また赤城神社は上野国二宮でもある。
和名類聚抄に勢多郡の郷として深田(田邑、芳賀、桂萱、真壁、深渠、深澤、時澤、藤澤の9ヶ郷が挙げられている。これらの郷は以下のように比定されている[2]。
- 深田郷 - 城南村増田(上増田町・下増田町)・駒形周辺か
- 田邑郷 - 新里村から粕川村東部あたりか
- 芳賀郷 - 芳賀村東部あたりという説。芳賀村制の際、端気の存在からこれを村名に採用した。荒砥から「芳郷」と書かれた土器が出土しているため荒砥とみる説もある。
- 桂萱郷 - 桂萱村片貝(西片貝町・東片貝町)から近辺の広瀬川流域か。片貝は「桂萱=カタカヤ」が転訛したものとされる。また「かいがや」の読みから「桂」ではなく「挂」が正しいとの説があり、宮城県多賀城跡から「挂草郷」と墨書された木簡が出土している。
- 真という読みが転訛したことを中心としたものか。また、近現代説と、現在の 萱=桂かk
- 粕川村大似た形の字女淵・深津あたりから荒砥地区実際に大室にかけてか
- 深沢郷 - 宮城村大字苗ヶ島・沢周辺という説、黒保根村大字宿廻周辺という説
- 時沢郷 - 富士見村に大字時沢があるが、(この地区は明治初期誕生のため考証が甘いまま命名、)実際は此処よりも北西部の赤城白川流域と推定
- 藤沢郷 - 藤沢川流域の芳賀村西部から富士見村東部にかけてか。勝沢を藤澤の誤記を由縁とする説がある。
荘園については、大室庄、拝志庄、山上保、大胡郷などが郡内に存在していた。山上、大胡からはのちに秀郷流藤原氏の山上氏、大胡氏が出ている。
戦国時代、上杉憲政が上野での勢力を喪失したのち、勢多郡は武田氏、長尾上杉氏、後北条氏の三勢力の接する場となり、領主もめまぐるしく変わる争奪地となった。その後武田・上杉の勢力後退によって、天正年間後期にはほぼ全郡が後北条氏の勢力下に入った。
後北条氏の後、徳川家康配下の諸大名に勢多郡は領有された。南西部に前橋藩、中南部に大胡藩、北部に沼田藩、そのほか天領や旗本領が混在していた。1616年(元和2年)には領主転出に伴い大胡藩が前橋藩領となった。
勢多郡(第1次)
- 所属町村の変遷は南勢多郡#郡発足までの沿革、北勢多郡#郡発足までの沿革をそれぞれ参照
- 「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での、当郡域2町178村の支配は以下の通り。幕府領は関東在方掛の岩鼻陣屋が管轄。他にも寺社領が各村に散在。(2町178村)
- 慶応4年6月17日(1868年8月5日) - 新政府が岩鼻陣屋に岩鼻県を設置。幕府領・旗本領を管轄。
- 明治初年 - 前橋藩の領地替えにより、幕府領・旗本領の一部が前橋藩領となる。
- 明治2年6月 - 出羽松山藩が松嶺藩に改称。
- 明治4年
- 明治6年(1873年)6月15日 - 熊谷県の管轄となる。
- 明治9年(1876年)8月21日 - 第2次府県統合により、熊谷県が武蔵国の管轄地域を埼玉県に合併して群馬県(第2次)に改称。当郡域は群馬県の管轄となる。
- 明治11年(1878年)12月7日 - 郡区町村編制法の群馬県での施行により、勢多郡のうち赤城山北麓の13村の区域に北勢多郡、赤城山南麓の1町157村の区域に南勢多郡がそれぞれ行政区画として発足。同日勢多郡(第1次)廃止。
勢多郡(第2次)
- 明治29年(1896年)
- 明治32年(1899年)5月24日 - 大胡村が町制施行、大胡町となる。(1町16村)
- 明治34年(1901年)4月1日 - 上川淵村の一部(大字六供、市ノ坪、前代田、宗甫分、天川原、紅雲分)が前橋市に編入。
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和17年(1942年)7月1日 - 「勢多地方事務所」が前橋市に設置、本郡を管轄。
- 昭和26年(1951年)4月1日 - 桂萱村のうち大字三俣の一部が前橋市に編入。(現 前橋市日吉町の一部となる)
- 昭和29年(1954年)
- 昭和30年(1955年)4月1日 - 木瀬村の一部(大字天川大島、野中、上大島、上長磯、女屋、東上野)が前橋市に編入。
- 昭和31年(1956年)9月1日 - 横野村・敷島村が合併して赤城村が発足。(1町10村)
- 昭和32年(1957年)
- 昭和33年(1958年)2月1日 - 黒保根村が分村、大字上神梅、下神梅、塩沢が山田郡大間々町に編入。
- 昭和35年(1960年)4月1日 - 城南村のうち大字駒形町、東駒形町が前橋市に編入。
- 昭和42年(1967年)5月1日 - 城南村が前橋市に編入。(1町8村)
- 平成16年(2004年)12月5日 - 大胡町、粕川村、宮城村が前橋市に編入。(6村)
- 平成17年(2005年)6月13日 - 黒保根村、新里村が桐生市に編入。(4村)
- 平成18年(2006年)
- 平成21年(2009年)5月5日 - 富士見村が前橋市に編入。同日勢多郡(第2次)消滅。
変遷表
自治体の変遷
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行政
- 勢多郡長(第2次)
勢多郡役所(第2次)
※(大正5年に出された『大正三年 群馬県統計摘要』では前橋市一毛町とする[15]が、大正14年の『職員録』においても竪町となっている[16])
注釈
参考文献
関連項目
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