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藤原実範
平安時代中期の廷臣・漢詩人。藤原南家貞嗣流。藤原能通の長男。従四位上・文章博士、大学頭。子に藤原行綱(無官)、興義(園城寺、阿闍梨、道澄寺別当)、実慶(興福寺、已講) ウィキペディアから
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藤原 実範(ふじわら の さねのり)は、平安時代中期の廷臣・漢詩人。藤原南家貞嗣流、従三位・藤原永頼の孫。左兵衛佐・藤原能通の長男。官位は従四位上・文章博士。
経歴
文章博士・藤原義忠に師事し、治安3年(1023年)に文章得業生となって世に出る。後一条朝で蔵人所雑色・六位蔵人を務めた。のち、左兵衛佐・備後守を経て、後冷泉朝にて文章博士・大学頭を務めたほか、伊予権介・讃岐介・駿河守等を兼国した。位階は従四位上に至る。康平5年(1062年)病のため致仕。
生涯をかけて紀伝道をよく修め、当代随一の権威として知られた。漢詩人として、その詩作は『本朝無題詩』『本朝続文粋』などに収録されている。
官歴
系譜
要約
視点
- 父:藤原能通
- 母:藤原元尹の娘(藤原南家巨勢麻呂流出身)
- 妻:小野資通の娘
- 妻:高階業敏の娘
- 男子:藤原季綱(?-?)
- 生母不明の子女
- 男子:藤原行綱
- 男子:興義
- 男子:実慶
- 養子女
- 男子:藤原業仲 - 実は高階業敏の子
子の成季、季綱らも父と同様に文章道によって名をなし、その子孫からも文章博士を輩出したため、実範は後世、南家の家学の祖として一門の尊崇を受けることとなった。また三男の季兼の子孫は熱田神宮の大宮司職を世襲する家柄となった。
脚注
参考文献
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