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藤原忠経
平安時代中期の貴族。藤原北家。従四位下・左馬頭。 ウィキペディアから
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藤原 忠経(ふじわら の ただつね)は、平安時代中期の貴族。藤原北家、権大納言・藤原道頼の子。官位は従四位下・左馬頭。
経歴
童名は薬勢[1]。父・道頼が長徳元年(995年)に没していたことから、大叔父の藤原道長の後見を受け長保2年12月(1001年1月)に元服する。翌長保3年(1001年)従五位下・侍従に叙任されると、右兵衛権佐・左近衛少将といった武官や五位蔵人を経て、寛弘7年(1010年)に従四位下に叙される。三条朝に入ると、長和2年(1013年)左近衛少将を止められて左馬頭に転じるが、翌長和3年(1014年)正月に卒去。
官歴
注記のないものは『権記』による。
系譜
脚注
出典
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