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藤原忠行
平安時代前期の貴族・歌人。藤原南家巨勢麻呂流。従五位下・若狭守 ウィキペディアから
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藤原 忠行(ふじわら の ただゆき)は、平安時代前期の貴族・歌人。藤原南家巨勢麻呂流、近江権守・藤原有貞の子。官位は従五位下・若狭守。
経歴
土佐掾・掃部助を経て、宇多朝の寛平2年(890年)従五位下に叙爵し、翌寛平3年(891年)散位頭に任ぜられる。
醍醐朝の昌泰3年(900年)遠江守に任ぜられ地方官に転ずる。延喜5年(905年)刑部大輔と京官に復すが、翌延喜6年(906年)正月には若狭守として地方官に転じ、同年11月1日卒去。
人物
勅撰歌人として、『古今和歌集』『後撰和歌集』に1首ずつ和歌作品が採られている[1]。『後撰和歌集』採録の和歌から、紀友則と交際があったことが窺われる。
官歴
注記のないものは『古今和歌集目録』による。
系譜
『尊卑分脈』による。
脚注
出典
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