トップQs
タイムライン
チャット
視点

藤原敦基

平安時代後期の貴族・漢詩人・儒学者。正四位下・上野介。子に藤原敦兼(正六位上、学生)、藤原実信(無官)、心覚(阿闍梨、覚心、延暦寺) ウィキペディアから

Remove ads

藤原 敦基(ふじわら の あつもと)は、平安時代後期の貴族漢詩人藤原式家文章博士藤原明衡の子。官位正四位下上野介

概要 凡例藤原敦基, 時代 ...

経歴

白河天皇皇太子時代よりその傍に仕え、また藤原師実家司をも務める。文章得業生から、蔵人等を経た後、寛治2年(1088年)には文章博士に任ぜられる。父と同様に学識に秀で、特に漢詩の才をもっては当代随一であり、凡そ文に属する者で敦基の弟子でない者はない、とまで謳われた。著作として『国史後抄』『柱下類林』があり、また作品が『本朝続文粋』『本朝無題詩』等に収められている。

同時代の源義家と文武の双璧と称され、互いに交流も持った。娘は義家の子・義国に嫁いでいる[2]

官歴

系譜

  • 父:藤原明衡
  • 母:平実重の娘
  • 妻:中原季成の娘
  • 生母不明
    • 男子:藤原敦兼
    • 男子:藤原実信
    • 男子:藤原周光
    • 男子:心覚
    • 女子:源義国
    • 養子:藤原敦光(1062-1144) - 実は敦基の同母弟

脚注

出典

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads