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藤原永範

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藤原 永範(ふじわら の ながのり)は、平安時代後期の公卿学者藤原南家貞嗣流大内記藤原永実の次男。官位正三位宮内卿後白河二条高倉の3代にわたり御侍読を務めた。

概要 凡例藤原 永範, 時代 ...

経歴

白河院政期後期の元永元年(1118年文章得業生に補せられる。保安4-5年(1123-1124年)の間に叙爵。この間に大学権助左衛門尉を務めた。

献策により保延2年(1136年正五位下、保延5年(1139年従四位下天養2年(1145年従四位上と昇進し、同年12月に文章博士に補せられる。鳥羽院政期後半の仁平3年(1153年藤原南家出身者では初めて式部大輔に任ぜられ、久寿2年(1155年後白河天皇御侍読を務める一方で、保延7年(1141年越中介久安3年(1147年伊予権介、仁平4年(1154年加賀介保元2年(1157年石見守と地方官も歴任した。保元2年(1157年)10月、陰明門陣屋造営の功労により正四位下に叙せられる。永暦2年(1161年)2月に任期満了のため石見守を去り、同年3月二条天皇の御侍読を務める。長寛2年(1164年)に大宰大弐を兼ねる。

永万2年(1166年)には東宮・憲仁親王の東宮学士も兼ねる。2年後の仁安3年(1168年)憲仁親王が践祚高倉天皇)すると天皇即位及び東宮学士の功労により従三位に叙せられ、貞嗣流では尹忠以来182年ぶりに公卿に列した。嘉応元年(1169年宮内卿に任ぜられ、承安3年(1173年正三位に昇進する。承安5年(1175年播磨権守治承4年(1180年)27年余り務めた式部大輔を辞し、同年10月出家、11月10日に薨去。享年81。

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官歴

公卿補任』による

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系譜

脚注

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