トップQs
タイムライン
チャット
視点

藤原永貞

ウィキペディアから

Remove ads

藤原 永貞(ふじわら の ながさだ)は、平安時代初期の貴族藤原北家大納言藤原真楯の孫。正六位上藤原真永の子。官位従五位上山城守

概要 凡例藤原永貞, 時代 ...

経歴

延暦18年(799年従五位下叙爵し、延暦23年(804年権右少弁に任ぜられる。桓武朝末の延暦25年(806年)2月に式部少輔に任ぜられ、3月の桓武天皇の崩御に当たって御装束司を務める。同年大和守として地方官に転じる。

嵯峨朝に入り、弘仁5年(814年)に造西寺長官次いで陰陽頭に任ぜられる。山城守を経て、弘仁10年(819年)20年振りに昇進して従五位上に叙せられた。また時期は不明だが、肥後守も務めている。

官歴

注記のないものは『六国史』に基づく。

系譜

尊卑分脈』による。

脚注

出典

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads