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藤原経家 (権中納言)

平安時代中期の公卿。正三位・権中納言 ウィキペディアから

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藤原 経家(ふじわら の つねいえ)は、平安時代中期の公卿藤原北家小野宮流権中納言藤原定頼の子。官位正三位権中納言

概要 凡例藤原経家, 時代 ...

経歴

後一条朝長元4年(1031年従五位下叙爵し、翌長元5年(1032年侍従に任官する。

少納言を経て、後一条朝末の長元9年(1036年正五位下・右少弁に叙任されると、長暦4年(1040年従四位下長久4年(1043年)従四位上・右中弁、永承元年(1046年正四位下、永承3年(1048年蔵人頭兼権左中弁、永承5年(1050年)には正官の左中弁・平定親を超えて右大弁に任ぜられるなど、後朱雀朝から後冷泉朝にかけて弁官を務めながら昇進を重ねる。

天喜4年(1056年従三位に叙せられて公卿に列す。天喜6年(1058年)左大弁を経て、康平4年(1061年参議に任ぜられた。議政官としても弁官を兼帯し、康平6年(1063年正三位に至る。治暦元年(1065年権中納言に昇任し、30年近くに亘って務めた弁官の職を離れた。

後三条朝初頭の治暦4年(1068年)5月25日薨去享年51。最終官位は権中納言正三位。

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官歴

公卿補任』による。

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系譜

出典

さらに見る 公職 ...
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