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藤原良尚

平安時代初期から前期の貴族。藤原南家巨勢麻呂流。従四位上・右兵衛督。 ウィキペディアから

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藤原 良尚(ふじわら の よしひさ)は、平安時代初期から前期にかけての貴族藤原南家参議藤原巨勢麻呂の曽孫。常陸介藤原春継の子。官位従四位上右兵衛督

概要 凡例藤原良尚, 時代 ...

経歴

文徳天皇即位した嘉祥3年(850年)に右近衛権将監に任ぜられる。のち右近衛将監・大和権大掾蔵人を経て、斉衡2年(855年従五位下・右近衛少将兼大和介に叙任されるなど、文徳天皇に近習として仕える。斉衡3年(856年上総権介として地方官に転任する。

清和天皇即位後まもない貞観元年(859年)正月に左近衛少将として京官に復帰する。貞観2年(860年近江権介を兼ねる。同年、母のに服して官職を辞すがまもなく本官に復帰し、11月には従五位上に叙せられる。貞観8年(866年正五位下、貞観11年(869年従四位下・右近衛権中将と武官を務めつつ累進し、貞観17年(875年)従四位上・右兵衛督に至った。

貞観19年(877年)3月10日卒去享年60。最終官位は従四位上行右兵衛督兼相模守

父の春継は、祖父の黒麻呂とともに開発した藻原荘に住み生涯を終えたが、墓所の保全のため藻原荘を興福寺に施入するよう遺言していた。しかし、良尚も遺言を果たさず急死したため、寛平2年(890年)に子の菅根らが興福寺に施入した[1]

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人物

武芸を好み腕力が人並み外れて強く、非常に胆力もあった。また、容姿も美しかったという[2]

官歴

六国史』による。

系譜

尊卑分脈』による。

脚注

参考文献

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