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蛭田禎男
日本の歴史家 ウィキペディアから
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蛭田 禎男(ひるた さだお、1918年(大正7年)7月25日[1] - 2020年(令和2年)8月3日[2])は、日本の教育者、歴史家である。長年教諭を務め、小学校校長を務めた後[3]、有漢町教育委員会指導員となり、有漢町の歴史を編纂した人物[3]。岡山県高梁市出身。
経歴
生い立ち
1918年(大正7年)、岡山県上房郡高梁町川端(現:高梁市)で出生する[1]。1930年(昭和10年)に上房郡有漢村(後の有漢町)の蛭田傳助の養子となる。岡山県師範学校(現:岡山大学教育学部)を卒業する[1]。
有漢中学校や有漢東小などで教師を40年務める[1]。小学校の校長を務めた後、地元の有漢の歴史や伝承の編纂を行う。1991年(平成3年)には、「有漢点描」として全9巻出版し、明治、大正の動乱を中心に有漢の歴史をまとめている[4]。
2006年(平成18年)88歳のとき、国から瑞宝双光章を授与される[5]。2018年(平成30年)100歳を迎えるが、その2年後、2020年(令和2年)8月3日、102歳にて死去した[2]。
脚注
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