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西海町 (長崎県)
日本の長崎県西彼杵郡にあった町・合併により西海市 ウィキペディアから
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西海町(さいかいちょう)は、1955年から2005年まで長崎県の西彼杵半島北部にあった町。西彼杵郡に属していた。
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地理
五島灘と佐世保湾に面する西彼杵半島北部を町域としていた。南西は大瀬戸町、南東は西彼町に隣接し、太田和地区から大島町へ通じる大島大橋が架かる。また佐世保湾に面する北東部は佐世保市佐世保港に繋がる航路があり、横瀬地区には米海軍用地もある。
町域は玄武岩質の溶岩台地からなる。海岸まで丘陵地が迫るが、西彼杵半島の中・南部よりは比較的標高が低く、起伏も少ない。照葉樹林やスギ・ヒノキ林が広がり、集落周辺ではミカン畑をはじめとした農耕地や畜産に利用されている。また面高(おもだか)地区は陸繋島で、砂州の上に集落が立ち並ぶ。
おもな山は白岳(しらたけ : 標高356m)・虚空蔵山(こくぞうざん : 標高307m)、おもな河川は多以良川・柚ノ木川・江川内川・伊佐ノ浦川・面高川・高地川・木場川がある。
歴史
北部の横瀬浦は、1562年(永禄5年)に平戸港に次ぐ海外貿易の窓口として開港したが、宗教上の対立から翌年に焼き討ちされた。以後貿易港は福田(長崎市西部の福田地区)へ移り、1570年に大村純忠によって長崎港が開港された。横瀬は史跡公園として整備され、港入り口の八ノ子島には当時と同様の白い十字架が復元されている。
近現代
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地域
地名
郷を行政区域とする。旧面高村・旧七釜村は大字無し、旧瀬川村は2大字(川内・横瀬)を設置していた。1955年から1957年の西海村(初代)時代は郷の名称に旧自治体名「面高」「七釜」を冠していたが、1957年の西海村(2代)発足時に旧自治体名の冠称および瀬川村の大字を廃し、郷のみの表示となった。
教育
- 中学校
(西海市発足後は「西海市立西海○中学校」と改称。)
- 小学校
(西海市発足後は「西海市立西海○小学校」と改称。)
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
参考文献
- 角川日本地名大辞典 42 長崎県
脚注
関連項目
外部リンク
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