トップQs
タイムライン
チャット
視点

西都市立都於郡中学校

宮崎県西都市にある中学校 ウィキペディアから

西都市立都於郡中学校map
Remove ads

西都市立都於郡中学校(さいとしりつ とのこおりちゅうがっこう)は、宮崎県西都市大字岩爪にある公立中学校

概要 西都市立都於郡中学校, 過去の名称 ...

2026年令和8年)3月末をもって閉校し、西都市内中学校5校(穂北都於郡三納三財)の統合により、同年4月、妻地区に西都市立西都中学校が新設される予定である[1]

概要

歴史
1947年昭和22年)の学制改革により、新制中学校として創立。現校名になったのは1958年(昭和33年)。2022年令和4年)には創立75周年を迎えた。前述のように、西都市内の中学校5校の統合により、2026年(令和8年)3月末をもって閉校し、79年の歴史に幕を閉じる予定である[1]
校章
1962年(昭和37年)制定。中央に「中」の文字を配している。
校歌
1958年(昭和33年)制定。作詞は長嶺宏、作曲は海老原直による。歌詞は3番まであり、1番の歌詞中に「都於郡」、3番の歌詞中に「都於郡中」が登場する。1番の歌詞中には天正遣欧少年使節である伊東マンショが登場する。
通学区域

沿革

  • 1947年(昭和22年)
  • 1948年(昭和23年)
    • 3月31日 - 青年学校が廃止される。
    • 5月 - 旧兵舎を利用し、校舎が完成。
  • 1955年(昭和30年)4月 - 新校舎(3教室)が完成。
  • 1957年(昭和32年)3月 - 新校舎(9教室)が完成。
  • 1958年(昭和33年)
    • 4月1日 - 西都町への編入により、「西都町立都於郡中学校」に改称。
    • 5月8日 - 校歌を制定。
    • 11月1日 - 市制施行に伴い、「西都市立都於郡中学校」(現校名)に改称。
  • 1960年(昭和35年)3月 - 鉄筋2階建て新校舎(4教室)が完成。
  • 1962年(昭和37年)
  • 1963年(昭和38年)10月 - ミルク給食を開始。
  • 1967年(昭和42年)5月 - 都於郡小学校長園分校の廃止に伴い、分校校舎を移築の上、家庭科室・保健室・相談室が完成。
  • 1968年(昭和43年)5月 - 特殊学級「群竹」を開級。
  • 1971年(昭和46年)2月 - 第Ⅰ期防音校舎が完成。
  • 1973年(昭和48年)3月 - 第Ⅱ期防音校舎が完成。
  • 1975年(昭和50年)2月 - プールが完成。
  • 1976年(昭和51年)7月 - 自転車通生のヘルメット着用を決定。
  • 1977年(昭和52年)2月 - 伊東マンショのレリーフ像を玄関に設置(当時の在職教諭による作品)。体育部室が完成。
  • 1986年(昭和61年)
    • 4月 - 完全給食を開始。
    • 12月 - 新体育館が完成。
  • 1988年(昭和63年)10月 - 緑陰教室・教育相談室が完成。
  • 1989年(平成元年)3月 - コンピュータを導入。
  • 1990年(平成2年)2月 - 第1回立志式(2年生)を実施。
  • 1994年(平成6年)6月 - 野球部の雨天練習ハウスが完成。
  • 1997年(平成9年)11月 - 創立50周年記念式典を挙行。
  • 2015年(平成27年)1月 - 校舎の耐震補強工事が完了。
  • 2026年(令和8年)3月31日 - 西都市立西都中学校への統合により、閉校(予定)[1]
Remove ads

交通

最寄りのバス停留所
  • 西都市コミュニティバス・デマンド型乗合タクシー「都於郡中学校」停留所
最寄りの幹線道路

周辺

脚注

参考資料

関連項目

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads