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記平佳枝

日本の元女優 ウィキペディアから

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記平 佳枝(きひら よしえ[1][2]1932年昭和7年〉3月28日[1][2][3] - )は、日本の元女優[4][5][6]。本名は記平 よしえ。夫は東宝専属俳優の岡豊[2](2000年死別)。

概要 きひら よしえ 記平 佳枝, 本名 ...

東京府東京市浅草区(現在の東京都台東区)出身[4][5]

来歴・人物

1949年(昭和24年)、東京都立浅草高等女学校(現在の東京都立浅草高等学校)を卒業し東京家政学院大学に進学するが、ほどなく中退し文学座演劇研究所に入る[4][5]。同期に内田稔岸田今日子矢吹寿子がいた。

1950年(昭和25年)、興行師の祖父と懇意だった徳川夢声の推薦で東宝と専属契約を結び、同年の杉江敏男監督映画『東京の門』で映画デビュー[4][5]。同期に中島春雄がいる[2]。その後も東宝で東宝特撮社長シリーズなど、ジャンルを問わず多くの作品に出演[1]

1971年(昭和46年)、東宝専属制度廃止に伴い、加藤茂雄今井和雄門脇三郎向井淳一郎東静子川口節子らと共に新星プログループに所属し、1990年代まで映画やテレビドラマに出演した[4][7][5]。現在は芸能界を引退している。

逸話

  • 文学座演劇研究所の研究生時代、記平自身が照れ性であったことから、幹部である杉村春子が「あの子は大人し過ぎるから、辞めさせてお嫁に行った方がいいですよ。」と両親に忠告し、珍しく立腹したと述懐している[2]
  • 1954年(昭和29年)に公開された黒澤明監督映画『七人の侍』において、背中に矢が刺さる百姓役として出演した際、仕掛けの狂いで本当に刺される憂き目に遭ったという[2]

出演作品

映画

テレビドラマ

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脚注

参考文献

外部リンク

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