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谷古宇甚三郎
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谷古宇 甚三郎(やこう じんざぶろう[1]、1927年〈昭和2年〉4月25日[2] - 2005年〈平成17年〉12月1日[2][3])は、日本の政治家、実業家。埼玉県議会議員、草加市議会議員。谷古宇産業代表取締役[4]。20社以上の関連企業を率いた谷古宇グループのオーナー[4]。田中角栄元首相の側近[5]。
経歴
埼玉県出身[6]。谷古宇勘蔵、み津の長男[1]。1944年に聖橋工業高校を卒業[1]。1951年に谷古宇工務店を創立して以降1954年に谷古宇建設工業、1963年に谷古宇産業を設立[5]。
その後不動産賃貸業、造園業、土木建築業、ホテル業、航空産業と次々に事業を拡大し、田中角栄元首相のファミリー企業「関新観光開発」の代表取締役も兼任した[5]。
1959年に草加市議会議員となり、1962年に自民党に入党する[1]。1963年に埼玉県議会議員に当選する[1]。
1969年、第32回衆議院議員総選挙に埼玉県第1区から自民党公認で立候補したが、落選した。選挙後、選挙違反で逮捕された[7]。2005年、死去した[5]。
人物
人柄
谷古宇グループ

1964年、群馬県の水上温泉に「ホテル大宮」をオープン[5]。
1990年に起きた「300億円融資問題」がグループ崩壊のダメ押しとなった[5]。
家族
- 谷古宇家
- 父・勘蔵[1]
- 母・み津(1908年 - ?、豊田将太郎の姉)[1]
- 妹[1]
- 妻・茂代子(1925年 - ?、浅古衍の妹)[1]
- 長男・勘司[1](草加市議会議員、埼玉県議会議員、1950年 - )[3] - 2012年12月、衆議院議員選挙に埼玉3区から日本維新の会公認で立候補したが、落選した。2017年10月、衆議院議員選挙に埼玉3区から日本維新の会公認で立候補したが、落選した。2024年10月、衆議院議員選挙に栃木5区から日本維新の会公認で立候補したが[8]、落選した。
- 長女[1]
- 二女[1]
- 認知した子供[4] - 1974年、参議院法務委員会で、参議院議員の矢田部理は「1971年に設立をされた埼栄開発株式会社の代表取締役・島田和子の戸籍謄本などをとって調べてみると、その戸籍の中に谷古宇甚三郎という人物が登場をする。谷古宇が2人の子供を認知をしていたからである。」と述べている[4]。
脚注
参考文献
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