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豊倉孝治
日本のプロ野球選手 (1951-) ウィキペディアから
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豊倉 孝治(とよくら たかはる、1951年5月10日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
千葉県立安房高等学校では、1968年秋季関東大会県予選準決勝に進むが銚子商に敗退。その後も県予選で敗れ甲子園には届かなかったが、高校時代はノーヒット・ノーランを2回達成。1968年には千葉県選抜の一員としてフィリピンに遠征し、最高殊勲選手にも選ばれた本格派投手であった。日本軽金属へ進むが1年目の10月に退職すると1970年ドラフト会議で西鉄ライオンズから3位指名を受け入団。
1年目の1971年にルーキーながらオープン戦に出場し、スライダーやカーブを武器に好投する。4月21日には近鉄を相手に先発し、鈴木啓示と投げ合うが2回3失点で降板。結局、公式戦では3試合しか登板することができず、1976年限りで引退した。
引退後は打撃投手兼スコアラーをつとめ[1]、1980年代の西武黄金時代を支え[2]、名スコアラーと評された[3]。1990年にはダイエーへ移籍してスコアラーを務めた[4]。
詳細情報
年度別投手成績
背番号
- 52(1971年 - 1973年)
- 63(1974年 - 1976年)
- 85(1980年 - 1981年)
- 94(1982年 - 1989年)
- 103(1990年 - 1995年)[5]
脚注
関連項目
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