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豊田拓矢

日本の元プロ野球選手 ウィキペディアから

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豊田 拓矢 (とよだ たくや、1987年3月28日 - )は、埼玉県八潮市出身[1]の元プロ野球選手投手)。右投右打。

概要 マーベラス野球, 基本情報 ...
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経歴

要約
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プロ入り前

小学校5年生の時に「小作田ベスターズ」で野球を始め、八潮中学校時代は「八潮シニア」でプレーした。浦和学院高等学校では1年生時の夏にベンチ入りし[1]、チームは1年生時と3年生時に全国高等学校野球選手権大会に出場、自身は通算で2試合2/3回を投げ防御率0.00だった[2]

上武大学4年生の時、関甲新学生野球・春季リーグで5勝を挙げ最多勝を受賞した[3]。この年、チームは第57回全日本大学野球選手権大会に出場[4]。大学通算成績は12試合74回を投げ9勝2敗、防御率1.82[2]

TDKでは1年目から都市対抗日本選手権に登板[1]。3年目にJR東日本東北の補強選手として第82回都市対抗野球大会に出場[5]、2回戦で救援登板し勝利投手になった[6]。5年目の第84回都市対抗野球大会の2回戦で先発登板し、ヤマハ打線相手に7回2死まで完全投球をしていたが[1]、その後1点を失い敗戦投手になった[7]

2013年10月24日に行われたプロ野球ドラフト会議埼玉西武ライオンズに3巡目で指名され[8]、契約金6000万円、年俸1200万円(金額は推定)で合意し[9]、入団。背番号は「19」に決まった[10]

西武時代

2014年は開幕を一軍で迎えた[11]。3月29日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦において3点ビハインドの9回に4番手でプロ初登板し、1回を投げ被安打0、奪三振1、無失点だった[12][13]。4月17日の対千葉ロッテマリーンズ戦では1点リードの5回一死の場面に2番手で登板し、1回2/3を投げ無失点で初勝利を挙げた。この日、ともに新人の中日ドラゴンズ又吉克樹オリックス・バファローズ東明大貴もプロ初勝利を挙げたが、新人の投手3人が同日に初勝利を挙げたのは59年ぶりの記録となった(新人に限らない3人同日の初勝利では2年ぶり)[14][15]。しかし、同月22日の対楽天戦ではアンドリュー・ジョーンズにサヨナラ本塁打を浴びた[16]。5月21日の対読売ジャイアンツ戦では2点リードの6回に2番手で登板し、1回を投げ無失点で初ホールドを挙げた[17]。9月25日の対オリックス戦では初先発したが、3回に右足がつり降板した[18]。2回0/3を投げ1失点で勝敗はつかなかった[19]

2016年は右肩が完治した8月に一軍に昇格し、6試合に登板[20]2017年は一軍登板はなかった。

2018年は2年ぶりの一軍登板を果たすも2試合の登板で防御率13.50と振るわず、10月4日に戦力外通告を受けた。

退団後

西武退団後は、妻の実家がある由利本荘市で再就職[21]。退団後も野球に関わりたく、妻の秋田県立西目高等学校時代の恩師である、石川聡(秋田県立秋田南高等学校野球部監督)に相談[21]学生野球資格回復制度の認定を受け、2019年2月より秋田南高校野球部の外部コーチに就任[21]。週末の練習に、バッテリーやトレーニング、投球術、配球面など幅広く指導している[21]

2024年からは、由利本荘市の「マーベラス」で自身もプレーをしている[22]

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選手としての特徴

大学4年生時に直球は最速152km/hを記録。社会人時代に病気や怪我の影響で一時期球速を10km/h近く落とすも、5年目には150km/hに回復させた[1]

投球フォームは松坂大輔のそれを参考にした大きく胸を張るスタイル。このフォームを維持するため、社会人時代は水泳で背筋を鍛えていた[23]

詳細情報

年度別投手成績

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  • 2018年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

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  • 2018年度シーズン終了時

記録

背番号

  • 19 (2014年 - 2017年)
  • 49 (2018年)

脚注

関連項目

外部リンク

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