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五智国分寺
新潟県上越市にある寺院 ウィキペディアから
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五智国分寺(ごちこくぶんじ)は、新潟県上越市五智にある天台宗の寺院。山号は安国山。院号は華蔵院。本尊は五智如来。
歴史

本長者原廃寺跡
(上越市本長者原)
(推定越後国分寺跡)
(上越市本長者原)
(推定越後国分寺跡)
聖武天皇の詔によって建てられた越後国国分寺を継承するとされ、寺伝では永禄5年(1562年)に上杉謙信が現在地に移転・再興したという[1]。移転前の当初の寺地は明らかでなく[1]、本長者原廃寺跡(上越市本長者原)に比定する説のほか[2]、海岸侵食で没したとする説や、岩殿山奥の院を創建地とする説等がある[3]。
上杉謙信による再興以前については、『延喜式』に寺料2万束と見える。中世には伊豆走湯山(現・伊豆山神社)別当密厳院の末寺であり、かつては真言宗であったともいう[1]。室町時代には万里集九が当地を訪れ、境内の様子を『梅花無尽蔵』に描写している[1]。また寺伝では、承元元年(1207年)に親鸞が越後国に流罪になった際、親鸞は境内に草庵(竹之内草庵)を結んで住まったという[4]。
謙信の再興以後では、『上杉年譜』から上杉景勝からの崇敬を受けたことが知られる[1]。また江戸時代には幕府から朱印地200石が国分寺村に与えられるとともに諸役が免じられた[1]。慶安元年(1648年)には天台宗になっていたとされる[1]。堂宇は元禄2年(1689年)と寛政6年(1794年)の火災で全て焼失しており[1]、その後の再建・修復を経て現在に至っている。
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境内
三重塔(新潟県指定文化財)
山門(上越市指定文化財)
現在の寺地は永禄5年(1562年)の上杉謙信による移転・再興と伝える。移転ながら由緒継承等で旧寺との関係が推測されることから、境内は上越市指定史跡に指定されている[5]。また境内は土塁で周囲を囲まれていることから、再興以前は豪族の居館であったとも考えられている[5]。
境内中央に建てられた本堂は、昭和63年(1988年)の焼失を経て平成9年(1997年)に再建されたものになる[6]。堂内には、大日如来を中心として薬師如来・宝生如来・阿弥陀如来・釈迦如来の5体の五智如来像が本尊として安置されている[7]。
本堂前に建てられた三重塔は、上越地方では唯一残る塔である[8]。寛政6年(1794年)の焼失後の安政3年(1856年)に再建を着工し、慶応元年(1865年)に棟上がされたが高欄等は未完成である[9]。塔の心礎を鎖で釣って心礎に固定しないという、江戸時代後期から現れる手法を採っている[8]。この塔は新潟県指定文化財に指定されている[8]。
経蔵は棟札から元禄6年(1693年)の建立とされ、市内で建築年代を特定できる建造物では最古になる[10]。蔵内には、元禄5年(1692年)の寄進銘を持つ「鉄眼版一切経」が納められている[11]。境内入り口に建てられた山門は、天保6年(1835年)の再建[12]。正面には「安國山」の山号を掲げる[12]。門内の左右2体の仁王像は天保7年(1836年)の作という[13]。この経蔵・山門はそれぞれ上越市指定文化財に指定されている[10][12]。
以上のほか、境内には親鸞の旧跡という竹之内草庵(伝親鸞聖人坐像(上越市指定文化財)を安置)や、親鸞上人像がある。
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文化財
新潟県指定文化財
- 有形文化財
- 三重塔(建造物) - 1976年(昭和51年)3月31日指定[14]。
上越市指定文化財
関連文化財
五智白山神社
五智国分寺境内には五智白山神社がある[20]。神社はもともと五智国分寺の境内にあったが、江戸時代初期に約500メートル離れた上越市国府1に遷座していた[20]。
社殿の老朽化や耐震性の問題から、本来の場所である五智国分寺境内に新社殿が設けられ、2025年(令和7年)3月30日に遷座し、同年4月27日に奉祝祭が開かれた[20]。
現地情報
所在地
交通アクセス
- 公共交通
周辺
脚注
参考文献
外部リンク
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