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足羽神社

福井県福井市にある神社 ウィキペディアから

足羽神社map
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足羽神社(あすわじんじゃ)は、福井県福井市足羽に鎮座する神社である。[1]式内社旧・県社

概要 足羽神社, 所在地 ...


祭神

継体天皇「生井神」・「福井神」・「綱長井神」・「阿須波神」・「波比岐神」[2]が祀られる。

神徳は次のとおり。[3]

  • 継体天皇 - 越前開闢之祖人。名前にあやかって継続繁栄、また、子が多かったことから子授け、安産、子孫繁栄の神である。
  • 大宮地之霊 - (別称)坐摩神。以下の5柱の総称。
    • 生井神 - 生命の源の神 
    • 福井神 - 栄・幸・福の神
    • 綱長井神 - 長寿の神
生井神、福井神、綱長井神はいずれも井戸の神、水の神である。
  • 阿須波神 - 足羽神、足場の神とも伝えられ、旅行・交通守神、工事安全守神である。万葉集巻二十に「庭中(にはなか)の阿須波の神に小柴さし吾(あれ)は斎(いは)はむ帰り来(く)までに」の歌がある。
  • 波比岐神 - 人の出入りを守護する門の神、災難除けの神である。

神紋

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三光(足羽神社の神紋。)

太陽、月、北極星の文様を組み合わせた紋(三光の紋)。北極星は天皇の象徴、太陽と月は命と力の源を意味するといわれている。全国でも3社しかない紋。 

由緒

継体天皇が男大迹王皇子として越前にいた時、大宮地の霊を祀ったという。大宮地の霊とは宮中の座摩5座の神であり、足羽神はその1座である。奉斎した後、越後平野の治水工事を起こし、即位して大和に上る時に自分の活霊も祀り、祭事を馬来田皇女に託した。[4]延暦10年(791年)4月、従五位下に叙され(『続日本紀』)、仁寿元年(851年)正月、従四位下が加えられ(『文徳天皇実録』)、延喜の制において小社に列せられ、天慶3年(940年)正月には従三位(『日本紀略』)、承暦4年(1080年)にこの神を穢す祟りがあったとして、社司に中祓が科せられた(『朝野群載』)。なお、国内神名帳である『越前国惣神分』には、正一位足羽大明神と記載される。

鎌倉時代以後、武家からの崇敬が篤く、領主の朝倉氏などが社領を寄した。江戸時代に、福井藩越前松平家代々の尊信が深厚であった。[5]

文化財

光明天皇ならびに仁孝天皇から大宮地という宸筆の額字を賜り、旧・国宝(現行法の重要文化財に相当)に指定されていたが、太平洋戦争により焼失した[6]

(指定解除された旧国宝)

  • 紙本墨書光明院宸翰
  • 紙本墨書仁孝天皇宸翰

天然記念物

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しだれ桜
  • シダレ桜
社殿前にあり、古くから「足羽さんのしだれさくら」として親しまれてきた。[7] 樹齢381年(2024年令和6年)現在)とされ春には多くの人が訪れる。[8]
1900年明治33年)橋南の大火で焼けたが、その後回生し、高さ6メートルの大木に育った。1970年(昭和45年)に福井市の天然記念物に指定された。[9]
  • タカオモミジ
正面参道の真ん中にあり、シダレザクラとともに古くから知られている。高さ14メートル。[10]

石碑・石造物

  • 天壌無窮碑
境内にあった、神宝神社の由来碑。1890年(明治23年)の建立。神宝神社は、明治天皇即位に参列した福井藩士由利公正が、下賜された祭器を御霊代として天照大神を祀ったもので、明治4年1871年)に由利邸内から足羽神社内に遷された[11]
  • 小燈籠
文政元年(1818年)に神社が木田の大火により被災し、文政3年(1820年)藩主松平治好により再建された。そののち、文政4年(1821年)、松塚則安の発起によって奉納されたもの。正面に和歌、右側面に「継体天皇紀」、裏面に足羽神社略縁起、左側面に「松塚則安発起 文政四年辛巳冬十月再建 馬来田神主善包朝臣代」と刻まれている[11]
  • 六地蔵宝塔
元禄14年(1701年)に松玄院第八世諶応等が開眼導師となり、常陸国真壁郡小栗庄下館の真誉諶入が建立した。菩提車六地蔵とも呼ばれる。六角石の上部は地蔵の彫刻で、中央に六角形の木製車輪があり、これを回転させると災難から免れるという[11]
遊楽寺は、元々朝倉一乗谷にあり、朝倉氏滅亡ののち、柴田勝家により足羽山に遷され愛宕山有楽寺となり、別当松玄院を建立した。明治3年1867年)神仏分離の際昌救院と合併、愛宕神社となったが、1900年(明治33年)の大火で全焼した[12]
  • 足羽宮碑
文政13年(1830年)に継体天皇崩御1300年を記念し、石場町の富商等が建立したもの。正面に「足羽宮之碑」と題し、左側面から裏面、右側面にかけてこの時の由来が刻まれている[11]
  • 継体天皇御世系碑
飛騨高山の国学者田中大秀は、継体天皇の御世系を研究し碑の建設を計画したが、没後、弘化4年(1847年)に門徒たちにより建立された[13]
  • 九頭龍川修治碑
1900年(明治33年)に国の直轄事業で、九頭龍川の支流などを大規模に改修工事を行ったが、治水伝説のある継体天皇を祭る当社に記念碑が建立された[14]
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祭礼

  • 1月1日 - 歳旦祭
  • 1月15日 - 左義長祭
  • 2月3日 - 節分祭
  • 2月11日 - 建国記念祭
  • 2月中旬 - 太子祭
  • 3月14日 - 足羽神社総代奉告祭
  • 3月20日 - 兼務神社総代奉告祭
  • 4月上旬 - 桜まつり
  • 4月14日 - 足羽山招魂社春季例大祭
  • 5月14日 - 神幸祭
  • 5月15日 - 春季例大祭
  • 6月16日 - 大祓式(夏越の大祓)
  • 6月30日 - 輪くぐり祭(白川流で行われる)[15]
  • 8月15日 - 終戦記念祭
  • 9月第2日曜 - 奉吟祭
  • 9月19日 - 宵宮祭
  • 9月20日 - 秋季例大祭
  • 9月21日 - 後日祭
  • 9月25日 - 足羽山招魂社秋季例大祭
  • 9月十五夜 - 観月祭
  • 10月7日 - 左内祭(橋本左内忌句会)
  • 10月15日 - 人形感謝祭
  • 11月15日 - 七五三詣
  • 11月最終土曜 - 大麻頒布始奉告祭
  • 12月23日 - 天長祭
  • 12月31日 - 大祓式

参考文献

  • 『式内社調査報告』(第15巻北陸道1、皇學館大學出版部、1986年(昭和61年))
  • 『越前祖神 足羽神社縁起』
  • 『歴史のみえるまちづくり協会 会報』(2007年11月号)
  • 『足羽の昔ものがたり集』(足羽熟年友の会 1986年(昭和61年))

脚注

外部リンク

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