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重ノ海博久

武蔵川部屋に所属した元力士 ウィキペディアから

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重ノ海 博久(しげのうみ ひろひさ、1967年6月14日 - )は、鹿児島県大島郡瀬戸内町出身で武蔵川部屋に所属した元大相撲力士。本名は重村 博久(しげむら ひろひさ)。182cm、126kg。最高位は西十両11枚目。得意技は左四つ、出し投げ、血液型はB型。

経歴

小学生時代は柔道を習ったが、瀬戸内町立古仁屋中学校では相撲部に所属して 2年生の時に全国中学校相撲選手権大会で団体優勝に貢献した。 3年生の全国大会で武蔵川に素質を見出されて勧誘された。当初は入門を迷ったが何度も武蔵川が訪ねて来るうちに熱意に動かされて入門を決意した。 1983年3月場所に初土俵。初土俵から3年で幕下に昇進したが、負傷もあってなかなか定着することができなかった。1990年に入ると幕下でも勝ち越せるようになり、1993年になると幕下上位に定着する。そして、1993年11月場所に念願の十両昇進を果たす。瀬戸内町から史上初の関取となったが、この場所は4勝11敗と大敗。翌場所に幕下陥落。十両在位は1場所で終わる。1997年5月場所限りで引退。引退後は福岡県福岡市中央区で相撲料理店「ちゃんこ重ノ海」を経営している[1]

エピソード

  • 当時幕下であった1992年2月29日夜、大阪府東大阪市の後援者宅で食事中に、外から交通事故の音を聞きつけ、同席していた幕下・武蔵龍、序ノ口・篠原(最高位幕下、引退時は武蔵城を名乗る)と共に負傷者の応急手当や現場での交通整理にあたった。これを受けて3月6日に、布施警察署から感謝状を贈呈された[2]
  • 引退後も部屋とは交流があり、14代武蔵川大相撲野球賭博問題による心労に見舞われていた際は世話人の荒ノ浪二朗(元幕下)に「オヤジ(14代武蔵川のこと)に何かあったらすぐ電話しろ!ニュースで知るようなことがあったら許さんぞ!」と思わず電話した[3]

主な成績

  • 通算成績:305勝265敗34休 勝率.535
  • 十両成績:4勝11敗 勝率.267
  • 現役在位:86場所
  • 十両在位:1場所

場所別成績

さらに見る 一月場所 初場所(東京), 三月場所 春場所(大阪) ...
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改名歴

  • 重村 博久(しげむら ひろひさ)1983年3月場所 - 1988年7月場所
  • 重ノ海 博久(しげのうみ ひろひさ)1988年9月場所 - 1997年5月場所

参考文献

  • 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709

出典

関連項目

外部リンク

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