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金沢本町
秋田県横手市の地名 ウィキペディアから
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金沢本町(かねざわもとまち)は、秋田県横手市の大字。郵便番号013-0812[3]。人口は343人、世帯数は129世帯(2020年10月1日現在)[1]。住居表示は全域で未実施[5]。旧仙北郡金沢町大字金沢本町・旧仙北郡金沢本町村に相当する。
地理
横手市の北端に位置しており、東で金沢、南で金沢中野、北で仙北郡美郷町金沢と隣接する。北を中ノ目川、南端部を厨川が西流し、中央部を国道13号の旧道が南北に縦貫しており、沿線に住宅や商店が密集する[2]。戦国時代には、城館が現在の金沢公園を中心とする山上に築かれ、その麓に位置する金沢本町は城下町として機能していた。そのため、金沢本町は仙北郡における軍事・政治・経済の一拠点であり、また羽州街道上に設けられた仙北郡南端の駅場でもあったことから、金沢地区の中心地として発展した[6]。本町・立石・菊水・川目・荒町の各集落で構成される[2]。
全域が都市計画区域に含まれるが、区域区分非設定区域となっている[7]。都市計画法上の用途地域には指定されていない[8]。
小字
2024年(令和6年)10月5日時点での「横手市(秋田地方法務局大曲支局)登記所備付地図データ」[9]、デジタル庁公表の「アドレス・ベース・レジストリ」の「秋田県 横手市 町字マスター(フルセット) データセット」[10]、横手市公表のオープンデータ[11]によれば、金沢本町の小字は以下の通りである。
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歴史
正保4年(1647年)の『出羽国知行高目録 下』によれば、金沢村として記載があるが、これに対応する『出羽一国御絵図』には金沢村は金沢前郷、金沢中野村は前郷ノ内中野村とあり、この時点で村名がどの程度の範囲を指しているのかは不明確である[6]。享保15年(1730年)の『六郡御黒印村附帳』で当高70石4斗4升2合の金沢本町村と見えるのが初見史料で、同年の六郡郡邑記でも村名が見える[12]。
→「金沢町 (秋田県)」も参照
沿革
- 1873年(明治6年)2月 - 秋田県第5大区小7区に属する[13]。
- 1881年(明治14年)4月16日 - 金沢本町郵便局(現・羽後金沢郵便局)が開局[14]。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、金沢村・金沢本町村・金沢中野村・安本村・野荒町村が合併し、金沢村となる[15]。金沢本町村は金沢村大字金沢本町となる[16]。
- 1897年(明治30年) - 町制施行して金沢町となる[17]。金沢町大字金沢本町となる[16]。
- 1956年(昭和31年)9月30日 - 金沢町が横手市に編入。横手市金沢本町となる[16]。
- 1972年(昭和47年)12月15日 - 老朽化していた横手市役所金沢支所(旧金沢町役場、字本町27番地)が、同地で建て替え金沢公民館となる[18]。支所は公民館に併置[18]。
- 2017年(平成29年)3月 - 金沢公民館が、金沢中野の旧金沢小学校に移転し「金沢孔城館」として開館[19]。
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世帯数と人口
2020年(令和2年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
人口・世帯数の推移
以下は国勢調査による1995年(平成7年)以降の人口の推移。2000年と2005年のデータは外れ値となっており、おそらく金沢との合算になっているためここでは省く。
以下は国勢調査による1995年(平成7年)以降の世帯数の推移。人口推移と同じく2000年と2005年のデータは省いている。
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[23]。
交通
鉄道
バス
- 荒町(横手・大曲線)
- 金沢本町(横手・大曲線)
施設
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脚注
参考文献
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