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釜山港へ帰れ
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「釜山港へ帰れ」(プサンハンへかえれ)は、チョー・ヨンピルの楽曲。黄善雨(黄善友とも表記)が作詞・作曲した大韓民国の歌謡曲(トロット)。日本では渥美二郎がカバーしたものが有名である。
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概要
- 1972年2月、チョー・ヨンピルが『女学生のためのチョー・ヨンピル ステレオヒットアルバム』(여학생을 위한 조용필 스테레오 힛트 앨범) で発表した。1976年、チョーが歌詞を改めて再レコーディングしたものが韓国国内で大ヒットした[1]。本国韓国ではチェウニをはじめ約60人の歌手がカバーしており、また釜山に本拠地を置くプロ野球チームロッテ・ジャイアンツのコンバットマーチとして、広く歌われている曲である。
- 三佳令二による日本語版の作詞では、釜山港で帰ってこない男性を待つ女性の心情が歌われているが、原詞(チョーが再レコーディングしたときの歌詞)では(日本へ)行ってしまったきり帰ってこない兄弟が歌われている。黄善雨によると自身の失恋の経験から当初の歌詞を書き、チョーが再レコーディングしたときの歌詞は、1975年に韓国政府による朝鮮総連系の在日朝鮮人の祖国墓参運動が始まったとき、釜山港で在日僑胞のおばさんたちを見かけて書いたという[2]。
- 原題を直訳すると「帰ってこい釜山港へ」(「帰ってきてよ、釜山港へ」[1])となり、訳題は倒置されている。
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日本での受容
- 日本では1977年に、李成愛のLP『納沙布岬/演歌の源流を探る』に収録された。これが本楽曲が日本に紹介された最初とされる[3]。続いて水野浩二が自主制作アルバムにまったく別な訳詩で収録し、のちのシングル盤(日本プリンスレコード NPS-1082 三佳令二訳)では水野が日本人で初めてレコーディングしたと書かれている。1979年に、殿さまキングス(殿キン)が「泪の波止場」というタイトルでシングルを発売した。殿キン版の歌詞はほぼ大部分が「釜山港へ帰れ」(の訳詞)と同じではあるが、釜山港というフレーズの部分は違う歌詞となっていた(作詞者は同じく三佳令二である)。
- さらに日本では1983年、チョー・ヨンピルが来日時にNHKで歌い注目され、16人の歌手による競作となる[4][2]。中でも渥美二郎が歌ったものが70万枚を超える[5](または80万枚[4])大ヒットとなったほか、チョーが歌ったものが26万枚[4]、李成愛が歌ったものが20万枚[4]を売り上げ、競作累計では150万枚以上[4]を売り上げた。また、CBS・ソニーでは200万枚、競作累計では300万枚近くを売り上げたとする文献もある[2]。
- 藤圭子、森昌子[6]、桂銀淑、ジェロもこの曲をカバーした。シングルとして発売したものは渥美やチョー、李の他、美川憲一、増位山太志郎、日野美歌、内田あかり、北原ミレイ、松浦真弓、山口順子、水野浩二、川西杏(「釜山港へ帰れ(泪の波止場)」の曲名)らがいる。また異色的にポール・モーリアによるインストゥルメンタル版のシングルもリリースされている。なお、日野(A面曲は「想い出グラス」)、松浦(A面曲は「盛り場ぐらし」)はB面扱い。水野はアルバムに収録した後、競作ブームの中でインディーズの日本プリンスレコードからA面でリリースした後、メジャーリリースの「大田ブルース」(ワーナー・パイオニア)のB面に収めている。増位山、北原、李、桂、川西のバージョンは2番が韓国語で歌われている一方、殿キン、渥美、美川、日野、内田、松浦、山口の発売したシングルでは全編日本語詞である。チョーは最初にシングルで出したものは1番が日本語で2番が韓国語だが、1988年4月25日発売のシングル「窓の外の女/釜山港へ帰れ」(ポリスター H10C-30004)に収録されたものは全編日本語詞である。水野は最初にアルバムに収録した物は全編日本語、シングルで出したものはプリンス版がA面が日本語でB面が韓国語、ワーナー版が1番が日本語で2番が韓国語である。
- 1983年11月8日には『NHK歌謡ホール』(NHK総合)にて渥美とチョーが共演[3]。同年11月14日には『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)にて渥美やチョーをはじめ、殿キン、さくらと一郎、山口、内田、香山しのぶ、北原、松浦、日野とカバーした歌手が大挙集まっての歌唱が行われた。
- 1984年3月22日に行われた1983年度のCBS・ソニー賞(ヒット賞)の授賞式で、この曲を作詞・作曲した黄善雨とCBS・ソニーから発売した歌手の内田と渥美が同賞を受賞した[2]。
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収録曲(チョー・ヨンピル日本盤シングル)
殿さまキングスのシングル
「泪の波止場」(なみだのはとば)は、1979年11月25日に発売された殿さまキングスの22枚目のシングル。
収録曲
渥美二郎のシングル
「釜山港へ帰れ」(プサンハンへかえれ)は、1983年9月1日に発売された渥美二郎の11枚目のシングル。
収録曲
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歌詞盗用問題
- 2004年、この歌の歌詞は、ほかの歌の作詞の盗用であるとして訴えを起こされた[10]。訴訟を起こしたのは歌謡曲「忠武港へ帰れ」(朝鮮語: 돌아와요 충무항에、1970年発表)の作詞者キム・ソンスル(芸名:キム・ヘイル)の母親で、黄善友に対して1億7800万ウォンの損害賠償の支払いと日刊3紙に弁明広告を出すよう求めるものだった[11]。
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脚注
関連項目
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