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殿さまキングス
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殿さまキングス(とのさまキングス)は、日本の音楽グループ。愛称は「殿キン」(とのきん)。コミックバンドから歌謡コーラス・グループに転向して成功を収める。「なみだの操」の大ヒットで知られる。次作「夫婦鏡」もミリオンセラーになり、連続ミリオンは史上初の快挙であった[1]。
概要
前身は1960年6月に結成のファンキーガイズというボーイズ物であった。結成時のメンバーは5人でのちに4人となった、メンバーはリーダー長田あつし、宮路おさむ、尾田まもる、戸沢清の4人であった。
大ヒット曲「なみだの操」の影響で、歌謡曲が主流になったが、元々はコミックバンドとしてお笑い番組に多数出演していた。ちなみに「殿さま」という名前は「キング」を日本風に言い換えようとして思いついたという。
1967年に結成。『大正テレビ寄席』(NET)などバラエティ番組に多数出演していた。その後、歌謡曲を歌うバンドに転身、1973年にリリースした「なみだの操」は300万枚近い爆発的なヒットとなった。1975年にリリースした「夫婦鏡」もミリオンセラーになった。連続ミリオンは史上初[1]。演歌系の楽曲に限らず、「恋は紅いバラ」「けい子のマンボ」などのリズムもの、「ハワイ音頭」「ブラジル音頭」などのワールドものにも意欲的に取り組んだ。その後もバンド活動などしていたが、昭和天皇の病状悪化を受けた“自粛ムード”によって、いわゆる「営業」の数が激減したこともあり、1990年に解散。メンバーはその後ソロで活躍、懐メロ番組などで不定期に再結成をした。1970年代は演歌系が中心だったが、1980年代にはポップスの要素も織り交ぜている。
小西良太郎はぴんからトリオの二番煎じと評している[1]。殿さまキングスの所属レコード会社はビクターで、ぴんからの所属コロンビアとは、昭和初期から追いつ追われつの老舗同士で、意地でもこのジャンルを独走させたくなく、その面子の突っ張り合いが天下を取った[1]。
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メンバー
- 長田あつし (1940年9月1日[2] - 2014年8月2日[3])- 兵庫県津名郡北淡町(現:淡路市)出身[2]。リーダー。ベース担当。解散前年に杏しのぶとオヨネーズを結成。東北弁で歌い上げたコミックソング「麦畑」が大ヒット。解散後はオヨネーズの活動を続けた。
- 宮路おさむ(現・宮路オサム)(1946年8月30日[2] - ) - 茨城県北茨城市出身[2]。ボーカル、ドラムス/スネアドラム担当。こぶしをコロコロ回してビー・ジーズの「マサチューセッツ」などを歌う、“演歌マサチューセッツ”が持ちネタだった。解散後も、継続的にステージで「なみだの操」などを歌い、歌手として活躍。また作詞、作曲家、俳優としても活躍している。
- 尾田まさる(1946年2月14日[2] - ) - 広島県出身[2]。テナーサックス、ボーカル(森進一のモノマネ系)担当。解散後はソロ歌手として活躍。
- 多田そうべい(1941年11月25日[2] - ) - 大阪府高槻市出身[2]。ギター担当。解散後は、司会、執筆、作詞、作家など多彩に活躍中。骨髄バンクを支援している。
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ディスコグラフィ
要約
視点
シングル
ミニLP
- FX-3005 殿キンの静聴!日本民謡 フィリップスレコード
アルバム
- FS-8114 宴会のうた 民謡編その1 (1971年)
- FX-5005 殿様キングス民謡に挑戦!
- 2OA-1 殿キンの日本全国うかれ旅 上記全て日本フォノグラム
- 北の恋唄(1974年)
- グランド・デラックス(1974年)
- 有線ベストヒット(1975年)
- 流行歌(1981年)
- パロッタ・クラシック(1983年。楽曲と演奏はクラシック音楽、歌詞とヴォーカルはド演歌、という意欲作。2007年、『殿キン・カンタービレ〜パロッタ・クラシック』のタイトルでCD化)
- エッセンシャル・ベスト(2007年)
- ウラ・ベスト集〜ブラジル(2007年。「ハワイ音頭」「ブラジル音頭」など、通常のベスト盤には収録されなかったコミカルな楽曲を中心に構成。そのほか未発表曲、初期の楽曲も収録)
- 殿キンのスーダラ外伝〜クレイジーキャッツを歌う(2007年。1970年ごろ録音された、ミュージック・テープ用音源のCD化。ブックレットには長田あつしインタビューを掲載)
ほか。
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主なテレビ出演
- 60分笑いっぱなし!!(1972年、日本テレビ) - レギュラー
NHK紅白歌合戦出場歴
脚注
関連項目
外部リンク
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