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鈴木禎一
日本の棋士 (1899-1955) ウィキペディアから
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鈴木 禎一(すずき さだかず、1899年〈明治32年〉出生日未詳〈9月16日[1]または10月16日[2][注釈 1]〉 - 1955年〈昭和30年〉1月7日[3])は、将棋棋士。五段。大崎熊雄九段門下[3]。東京府(現:東京都)出身。
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経歴
1899年〈明治32年〉東京の神田生まれ[1][2]。出生日については9月16日[1]あるいは10月16日[2]、文献によって異なる記載がある[注釈 1]。
1912年(大正11年)1月、万朝報ほか複数の試験将棋を突破し[1]、初段を免許されて将棋同盟社に入り[1]、萬朝報棋戰で7人拔きの快挙により入会5か月で二段昇段[1]。
なお、死没時の訃報記事では、1919年(大正8年)、将棋同盟社に入会・入段との記述もある[3]。
同年9月の関東大震災で被災したため奧州二本松で約1年滯在、その後東京に戻り四段昇段[1]。
1924年(大正13年)10月発行の『大正十四年 報知年鑑』で四段の棋客(棋士)として掲載[4]。また、1925年(大正14年)に行われた「八王子新年将棋会席上」の棋譜、同年発行の文献に四段との記述がある[5][6]。このほか、1933年に東京朝日新聞の新進棋士登龍戦に四段で登場[要出典]。
戦災のために戦後の第1期(五、四段戦 = C級)には参加せず[8]、第2期順位戦(B級)は休場[9]、1948年の第3期順位戦にC級2組(第3組)で予選参加し、予選落ち。その後もC級2組で参加し続ける。1951年の第6期順位戦では成績低迷により次期休場(1期)扱いとなるも、翌年の第7期はC級2組に張り出しで特別参加[10]。第8期にもC級2組で出場。
1954年の第9期順位戦にはC級2組の11位で参加予定であったが休場する事を表明、1955年1月7日に現役死去[3]。享年56。
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昇段履歴
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主な成績
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関連項目
脚注
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