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鍋島幹
日本の佐賀藩士、官僚、政治家 ウィキペディアから
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鍋島 幹(なべしま みき、1844年10月23日(天保15年9月12日) - 1913年(大正2年)9月1日)は、幕末の佐賀藩士、明治期の官僚・政治家。元老院議官、貴族院議員。位階・勲等・爵位は従二位勲一等男爵。幼名は道太郎。諱は貞幹、のち幹に改めた。

経歴
肥前国佐賀八幡小路に佐賀藩士・伊東祐元の三男として生まれ、同藩士・鍋島藤蔭の養子となる。佐賀藩老、仮代官を務めた。
慶応4年6月(1868年7-8月)、真岡知県事として新政府に出仕。1869年、日光県知事に転任し、1871年12月、栃木県が設置され初代県令に就任した。1881年6月、元老院議官となる。その後、青森県知事を経て、1889年12月、広島県知事に就任し、日清戦争の態勢整備に努めた。
栄典
- 1886年(明治19年)11月16日 - 正四位[2]
- 1888年(明治21年)5月29日 - 勲二等旭日重光章[3]
- 1889年(明治22年)11月25日 - 大日本帝国憲法発布記念章[4]
- 1890年(明治23年)11月1日 - 従三位[5]
- 1895年(明治28年)10月31日 - 男爵・勲一等瑞宝章[6]
- 1902年(明治35年)12月20日 - 正三位[7]
- 1906年(明治39年)4月1日 - 旭日大綬章[8][9]
- 1913年(大正2年)9月1日 - 従二位[10]
- 外国勲章佩用允許
親族
脚注
参考文献
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