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長岡秀星

日本のイラストレーター ウィキペディアから

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長岡 秀星(ながおか しゅうせい、1936年11月26日 - 2015年6月23日[1])は、日本のイラストレーター画家宇宙SFをイメージした作風で国際的に活躍し、レコードジャケットのアートワークを多数手掛けたことで知られる[1][2]。本名は長岡 秀三(ながおか しゅうぞう[1][3][2])。日本出版美術家連盟物故会員。

概要 長岡 秀星, 本名 ...

経歴

1936年長崎市に生まれる[4]1945年長崎市山里国民学校在学中に長崎県壱岐郡郷ノ浦町へ転校。中学・高校と原爆投下前に疎開した壱岐島で暮らす[5]

1955年壱岐高校3年生の時、小学館発行『中学生の友』の挿絵に送稿し採用される[4]武蔵野美術学校に入学するが、入学1ヶ月後に雑誌、出版物の仕事を始める[4]1958年、武蔵野美術学校を退学し[4]、コマーシャルアーティストとして独立する。1963年に結婚[4]1967年、 大阪万国博覧準備グループに参加する[4]

1969年、妻の兄嫁の母から名をもらい長岡秀星をペンネームとする[4]

1970年、アメリカに移住、ハリウッドにアートスタジオ「デザイン・マル」を設立する[3][4]。雑誌『ウエストマガジン』の表紙を担当した後、アルバムカバーや映画広告の仕事を手がける[4]カーペンターズなどのレコードジャケットも担当し、1976年、『ローリングストーン』誌最優秀アルバムカバー賞を受賞する[2][6]1981年、NHK出版社より画集『長岡秀星の世界 パート1』を出版する。また、株式会社ナムコからの依頼で『ボスコニアン』のポスター等も手がける。同年11月16日、NHK特集のドキュメンタリー番組『喜多郎&秀星 砂漠幻視行』が放映される。

1985年、画集『長岡秀星の世界 パート2』を出版。つくば科学博覧会の公式ポスターと政府出展館の展示物の制作を行う[6]。故郷の長崎県関連の観光ポスターや壱岐焼酎「壱岐っ娘」(壱岐の蔵酒造)のラベルのイラストも手がけた。また、日本人初の「宇宙特派員計画」のための作品を制作し、1991年にTBSの宇宙特派員秋山豊寛がソビエト連邦の宇宙ステーションミールに作品を持参した[3]

2004年までアメリカを拠点に活動し[1]、アメリカでの顧客として、ゼネラルモーターズフォードクライスラーフォルクスワーゲンロッキードリーダーズダイジェストNASAなど、大手有名企業の名前が挙がる[3]

2015年6月23日午前1時59分、心筋梗塞のため神奈川県小田原市の病院で死去、78歳没[1][7]

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作品

リトグラフタブローが主流だが、レコードジャケットのアートワークも多く手掛けている。

人物や物の描き方は、写実的である。多様で鮮やかな色彩は、リキテックスの透明性と筆による手書きの不透明性に、エアブラッシュの半透明の膜を重ねることで表現される[8]

宇宙をテーマとした神秘的な作品、サイエンス・フィクション(SF)を彷彿させる作品が多い[1][5]

1990年代頃から宇宙を題材としたSF絵物語『アナバシス』を手掛けており、晩年にはほぼ完成させていた[4]

主なレコードジャケット

画集

その他

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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