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長崎電気軌道蛍茶屋支線
長崎電気軌道の軌道路線 ウィキペディアから
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蛍茶屋支線(ほたるぢゃやしせん)は、長崎県長崎市の西浜町停留場と蛍茶屋停留場を結ぶ、長崎電気軌道の軌道路線である。
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概要
本線から分岐し、馬町交差点(諏訪神社停留場付近)まで公会堂前通り、そこから先は国道34号上を経由し、市街地東端部の蛍茶屋停留場へ至る。蛍茶屋停留場付近には長崎電気軌道の営業所や車庫が構えている。
1号系統を除く全ての系統が乗り入れ、中でも3号系統以外は全線を通して運行される。本線のほか桜町支線とも接続しており、本線以外で複数の自社路線が接続する唯一の路線でもある。
路線データ
歴史

最初の開業区間は大正時代、長崎駅前方面から続く路線の一部として開業した。その後しばらくして西浜町方面の線路が開通するが、蛍茶屋停留場までの延伸は昭和期に入ってからとなる。
- 1920年(大正9年)
- 1922年(大正11年)3月24日:馬町停留場付近に馬町車庫が完成[2]。
- 1934年(昭和9年)
- 1936年(昭和11年)9月:諏訪神社下停留場を諏訪神社前停留場へ改称[5]。
- 1937年(昭和12年)3月:蛍茶屋車庫が完成[6]。
- 1944年(昭和19年)1月:戦時下の急行運転に伴い、酒屋町・桜馬場町各停留場が廃止[7][8]。
- 1945年(昭和20年)
- 8月9日:長崎市への原子爆弾投下により不通[9]。
- 11月25日:運行再開[9]。
- 1947年(昭和22年)12月:中川町停留場を新中川町停留場へ改称[4]。
- 1954年(昭和29年)3月1日:ルート変更により古町停留場廃止[10]、桶屋町停留場が開業[11]。
- 1962年(昭和37年)7月8日:蛍茶屋車庫から360形電車363号が逸走し、新大工町停留場に停車していた365号と追突事故[12]、12人が死傷[13]。
- 1963年(昭和38年)3月:桶屋町停留場を公会堂前停留場に改称[11]。
- 1967年(昭和42年)9月21日:諏訪神社前 - 蛍茶屋間において、普通自動車の軌道敷内通行が認められる [14]。
- 1982年(昭和57年)
- 1989年(平成元年)3月29日:道路拡幅に伴い、諏訪神社前 - 新中川町間の軌道移設、およびセンターポール化工事完了[16]。普通自動車の軌道敷内通行が再び禁止となる[14][17][16]。
- 2017年(平成29年)
- 2018年(平成30年)8月1日:西浜町停留場のアーケード入口乗り場を独立させる形で、浜町アーケード停留場が開業[21][22]。賑橋停留場をめがね橋停留場へ、公会堂前停留場を市民会館停留場へ、諏訪神社前停留場を諏訪神社停留場へ改称[21][22]。
- 2023年(令和5年)1月4日:市民会館停留場を市役所停留場に改称[23]。
運行状況
1号系統が約5.5分間隔、3号系統が約6分間隔、4号系統が約20分間隔、5号系統が約8分間隔で運行されている。このほか、深夜帯に2号系統が1往復のみ運行される。
停留場一覧
廃止停留場
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脚注
参考文献
関連項目
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