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長浦村 (新潟県)
日本の新潟県北蒲原郡にあった村 ウィキペディアから
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長浦村(ながうらむら)は、かつて新潟県北蒲原郡にあった村。1959年7月22日の合併によって消滅し、現在は新潟市北区の一部となっている。
以下の記述は合併直前当時の旧長浦村に関しての記述であり、現在では名称等が異なる場合がある。なお、ここに記述されていない内容に関しては新潟市などの記事を参照。
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沿革
- 1901年(明治34年)11月1日 - 北蒲原郡長場村、亀浦村、嘉山村(一部)が合併して、長浦村が発足。村役場は大字浦木に設置[1]。
- 1916年(大正5年)5月1日 - 水原町、京ヶ瀬村との境界変更[2]。
- 1952年(昭和27年)12月1日 - 北蒲原郡神山村の一部を編入。
- 1955年(昭和30年)
- 2月4日・2月5日 - 町村合併促進法により、この日行われた臨時村議会にて、葛塚町・木崎村・岡方村との合併協議会設置を決定(賛成12、反対7)[3]
- 2月12日 - この日行われた臨時村議会にて、合併案を否決[3]。
- 3月4日 - この日行われた臨時村議会にて、賛成12、反対4、白票3にて、一転して合併案可決。3月6日には4町村で合併調印式が行われる[3]。
- 3月下旬 - 合併案可決に反して村内では合併反対の動きが大きくなり、村を二分するほどの混乱となる。村内の小学校体育館にて合併反対村民大会開催。合併反対派、県議会へ陳情を行う。最終的に県は本村の合併を時期尚早とし、合併保留とする[3]。
- 3月31日 - 葛塚町・木崎村・岡方村が合併し、北蒲原郡豊栄町成立。本村が合併しなかったため、この時点での豊栄町は旧岡方村地区が飛び地状態となる[3]。
- 1956年(昭和31年)12月27日 - この年6月施行の新市町村建設促進法施行により、同法による合併勧告第一号として、県より豊栄町と共に合併勧告を受ける[3]。
- 1959年(昭和34年)
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地名について
中南部を形成している旧長場村の「長」と北部を形成している亀浦村の「浦」をつなげて、村名となっている。
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行政
歴代村長
- 官選制村長時代
- 芳賀銀次郎[4]
- 羽賀浩次(1902年ごろ - 1903年ごろ)[4][5]
- 長場竜太郎(1903年ごろ - 1904年ごろ)[4][6]
- 芳賀銀次郎(1904年ごろ - 1912年ごろ)[7][8][9][10][11][12][13][14]
- 羽賀浩次(1912年ごろ - 1916年ごろ)[15][16][17][18]
- 長場竜太郎(1916年ごろ - 1917年ごろ)[19]
- 芳賀銀次郎(1917年ごろ - 1922年ごろ)[20][21][22][23][24]
- 嘉藤九蔵(1922年ごろ)[4][25]
- 長場尚太郎(1924年ごろ - 1927年ごろ)[4][26][27][28]
- 川瀬五郎(1927年ごろ - 1928年ごろ)[4][29]
- 長場尚太郎(1928年ごろ - 1936年ごろ)[30][31][32][33][34][35][36][37][38][39][40]
- (不在)(1936年ごろ - 1937年ごろ)[41]
- 田中恭吾(1937年ごろ - 1938年ごろ)[4][42]
- 長場誠(1938年ごろ - 1939年ごろ)[4][43][44]
- 池田與司(1940年ごろ - 1944年ごろ)[4][45][46][47][48][49][50][51]
- 石栗祐七[4]
- 民選制村長時代
学校
小学校
- 長浦村立下土地亀小学校
- 長浦村立上土地亀小学校
- 長浦村立長場小学校
- 長浦村立岡新田小学校
中学校
- 長浦村立長浦中学校
高等学校
- 新潟県立水原高等学校長浦分校
交通
道路
県道
- 葛塚水原線[4](現新潟県道15号新潟長浦水原線の一部)
- 葛塚新潟線[4](同上)
出身人物
脚注
参考文献
関連項目
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