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長谷信篤

日本の政治家 (1818-1902) ウィキペディアから

長谷信篤
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長谷 信篤(ながたに のぶあつ)は、江戸時代後期から明治時代初期にかけての公卿華族官位正三位参議長谷家12代。維新後は華族子爵)。京都府知事(初代)、元老院議官貴族院議員などの要職を歴任した。

概要 生年月日, 没年月日 ...
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経歴

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江戸時代末期頃

権大納言・高倉永雅の子として生まれ、刑部卿長谷信好の養子となる[1]。しかし、信好の実子とする説もある[2][3]

安政元年12月18日1855年2月4日)、従三位に叙される。安政勤王八十八廷臣の一人でもある。

王政復古時には正三位・参議。王政復古の大号令に伴い、東久世通禧岩倉具視らと共に新政府三職の一つである議定に就任。その後、京都府知事に就任。明治8年(1875年)京都府知事を退任する。1884年7月8日、子爵を叙爵[4]。その後も政治の中枢で活躍し、1890年(明治23年)7月10日から死去するまで貴族院議員に在任した[5]

ほかに、参与刑法事務総督(現在の法務大臣に相当)などの要職を歴任した。当時としては非常に長命で、85歳まで生きた。

官歴

公卿補任』による

栄典

系譜

脚注

参考文献

関連項目

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