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長谷信篤

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長谷信篤
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長谷 信篤(ながたに のぶあつ)は、江戸時代後期の公卿長谷信好の子。官位正三位参議。維新後は華族子爵)。京都府知事(初代)、元老院議官貴族院議員などの要職を歴任した。

概要 生年月日, 没年月日 ...

経歴

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江戸時代末期頃

安政元年12月18日1855年2月4日)、従三位に叙される。安政勤王八十八廷臣の一人でもある。

王政復古時には正三位・参議。王政復古の大号令に伴い、東久世通禧岩倉具視らと共に新政府三職の一つである議定に就任。その後、京都府知事に就任。明治8年(1875年)京都府知事を退任する。1884年7月8日、子爵を叙爵[1]。その後も政治の中枢で活躍し、1890年(明治23年)7月10日から死去するまで貴族院議員に在任した[2]

ほかに、参与刑法事務総督(現在の法務大臣に相当)などの要職を歴任した。当時としては非常に長命で、85歳まで生きた。

栄典

系譜

  • 父:長谷信好
  • 母:猪熊慶礼の娘 - 正室
  • 正室:梓子 - 坊城俊政の娘
  • 生母不明の子女

脚注

参考文献

関連項目

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